中島みゆきは、ほとんどテレビに出ないという印象が強い。
たまにドラマやCMに出ることはあるが、歌手として音楽番組に出演することはそれ以上に少ない。
そこには中島みゆきのこだわりがあった。
この記事は、
- 中島みゆきが過去に出演していたテレビ番組
- 中島みゆきはなぜテレビに出ないのか?
- テレビ出演は恩返しのカタチ
について書いてます!
「動く中島みゆき」
中島みゆきの枕詞によく「動く」が用いられる。
普段テレビに出ない中島みゆきが、映像として現れた場合に「動く中島みゆき」と形容される。
動いて当然の明石家さんまやマツコ・デラックスとは対極の存在であることを、この言葉は示す。
だが、最近では、中島みゆきの特番が組まれたりすると、「動く中島みゆき」の素材がちゃんと使われている。
1990年代以降、ライフワークとして取り組んでいる「夜会」の映像やライブ映像が、VHSやDVDなどでリリースされるようになったからだ。
それ以前は、今よりずっと「動く中島みゆき」は貴重だった。
1986年、中島みゆき初のPV映像『見返り美人』が制作され、テレビCMで流された時の反響は大きかった。
当時のことを音楽評論家の田家秀樹は、「婦人公論」の中でこう記述している。
「中島みゆきの新曲を”テレビで見る”というのは、前代未聞のことだった。それまでも、テレビスポットのような形で画面から彼女の曲が流れたことはあった。ただ、それはスチール写真だったりすることが多く、それこそ、”動く中島みゆき”が見られるのは、初めてのことだった」
中島みゆきは実はテレビによく出ていた?
ある側面から言うと、一般的に思われるよりも中島みゆきはテレビによく出ていたと言えるかもしれない。
テレビドラマでは、脇役として出演している。
- 1977年「明日の刑事」(TBS系)の第10話に「謎の女」役として登場。
- 1992年「親愛なる者へ」(フジテレビ系)の第2話と最終話でガッツリ台詞ありの産婦人科役を演じる。
- 2012年「東京全力少女」(日本テレビ系)の第1話で、清掃員の役で武井咲と共演。
- 2017年「やすらぎの郷」(テレビ朝日系)の第64話で、脚本家の倉本聰の妻役としてカメオ出演。
また、CMでも多く登場している。
- 1991年「キリンプレミアムビール」で初のCMデビュー。
- 1993~2000年「郵政省 お年玉付き年賀はがき」に出演。
- 1994~1995年「郵政省 かもめ~る」に出演。
- 1997年「ワンカップ大関」で田村正和と共演。
- 2005~2006年「北海道生搾り」で真心ブラザーズの桜井秀俊と共演。
- 2008年「アスタリフト」化粧品CMで松田聖子と共演。
- 2010年「フジカラーポストカード」で樹木希林やTOKIOの長瀬智也などと共演。
情報番組にも出演している。
- 1993年&1998年「NEWS23」で筑紫哲也と対談。
- 2006年「ちちんぷいぷい」で「夜会」についての対談。
こうしてみると、意外とテレビ出演にはフットワークが軽いように思える。
だが、テレビカメラの前で歌うとなると話は別のようだ。
中島みゆきはなぜテレビに出ないのか?
中島みゆきがテレビカメラの前で歌った例は、ドラマやCM出演と比べると極端に少ない。
デビューしたばかりの1970年代には、
- 「ミュージックフェア」(フジテレビ系)
- 「コッキーポップ」(日本テレビ系)
- 「夜のヒットスタジオ」(フジテレビ系)
などの音楽番組に出演し、わりと頻繁にテレビカメラの前で歌を披露していた。
だが、中島みゆきにとってこの形態はあまりしっくりこなかったようだ。
1978年の作家・村上龍との対談で、当時の心境をこのように語っている。
「四回ぐらい出たけど、やっぱり機械に向かって歌うってイヤね。それに、見てくれる人のテレビに向かう状態とレコードを聴こうとしてくれる状態と、やっぱりちょっと違うでしょ」
テレビを介すると、歌う側と聴く側のスタンスが狂わされてしまう。
それは中島みゆきにとっては不本意なことだった。
1982年の音楽指揮者・岩城宏之との対談では、テレビ出演を敬遠する別の理由を述べている。
「好きじゃないですね。テレるんですよ。それがこ憎らしいテレ方で、あ、恥ずかしいワ、とかいうんじゃなく。人前に出す顔じゃないとつくづく」
テレビにはまた別の弊害があると中島みゆきは言う。
「撮っているときのタイミングなんかもあるのよね。こっちがノッたかな、と思うと、ハイ一時間後本番とか、こっちがちょっと良かったかなと思うと、いいからいいからって感じで」
その後、1980~90年代は、テレビカメラの前で歌うことはなかった。
再び、歌手としてテレビに姿を現したのは2002年12月31日のこと。
「第53回NHK紅白歌合戦」に初出場した中島みゆきは、富山県黒部から生中継で『地上の星』を歌いあげた。
テレビカメラの前で歌ったのは、1978年「コッキーポップ」(日本テレビ系)以来24年ぶりのことだ。
だが、決してテレビへの苦手意識を克服したわけではない。
2004年の「音楽専科SOUNDPEOPLE」第11号のインタビューの中で、改めてテレビで歌うことの難しさを語っている。
「ここまで歩いたら、こっちのカメラを見るみたいな段取りもあるのね。それを覚えるだけでも、私には大変だったんだから」
ちなみに紅白で中島みゆきは歌詞を間違えた。
用意してあった歌詞のカンペがライトの逆光で見えなかったり、音響がハウリングを起こしたり。
それら些細なハプニングの積み重ねが、歌へ入り込むのを邪魔したからだ。
テレビに出て歌うことは技術が必要だと中島みゆきは言う。
「カメラの段取りとかも、その場ですぐ覚え、すぐできるのもテレビに出るための技術ですよ。敏捷性には自信ないもんな~。だから、出ないのがいちばん」
テレビで歌うのは恩返し
テレビカメラの前で歌うことを苦手としながらも、なぜ24年ぶりにテレビカメラの前に立つ気になったのか?
「第53回NHK紅白歌合戦」への出演に対し、中島みゆきは、「お礼」という言葉を使っている。
歌われた『地上の星』は、NHKのドキュメンタリー番組「プロジェクトX〜挑戦者たち〜」の主題歌となった曲だ。
曲を大切に扱ってくれた恩返しとして、中島みゆきは再びカメラの前に立つことを決めたのである。
2006年「ちちんぷいぷい」(MBS)へ出演した理由についても、「育てていただいたので」という言い方をしている。
昔、中島みゆきは、同局のラジオ番組でDJを務めていたことがあった。
つまり、これも、世話になった恩返しというワケだ。
その後のテレビ出演
2002年、「第53回NHK紅白歌合戦」で『地上の星』を歌った中島みゆきは、その後もちょくちょくテレビに顔を出している。
- 2005年「プロジェクトX~挑戦者たち~」(NHK)の最終回にスタジオで『ヘッドライト・テールライト』を歌う。
- 2014年「第65回NHK紅白歌合戦」で、ドラマ「マッサン」(NHK)の主題歌『麦の唄』を歌う。
いずれも、主題歌に起用してくれた番組や局への恩返しのカタチだ。
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