1994年1月10日、「中島みゆき3Daysもっとみゆきと深い仲 第一夜」(NHK 衛星第2)で中島みゆき特集が放送された。
筑紫哲也、工藤静香など著名人や、ラジオや「夜会」の関係者など、それぞれの立場から見た中島みゆきの顔を語っている。
また、スティービー・ワンダーとの出会いに至るまでの経緯についても触れられている。
この記事は、
- 筑紫哲也・工藤静香が見た中島みゆき
- ラジオや「夜会」での中島みゆきの顔
- 中島みゆきの名言集
- 中島みゆきとスティービー・ワンダーが出会うまで
について書いてます!
筑紫哲也の思う中島みゆき
筑紫「中島みゆきさんという人と個人的におしゃべりするようになったのは、実はごく最近のことなんですけれども」
筑紫哲也は、デビュー当時から中島みゆきに注目していた。
「なんでこの小娘にこんなことが分かるんだ?」
それが、筑紫が中島みゆきに初めて抱いた印象だった。
当時、中島みゆきはまだ20代。
人生経験がそこまで深いという訳ではないのに、どうしてこんなにも歌の世界を築けるのか?
筑紫にとって、不思議で仕方なかったという。
筑紫「ご本人はそう思ってないつもりなんですけど、私は明らかに美人さんだと思うのに、かなりシニカルだったり、ひがみの歌があったり」
筑紫にとって、中島みゆきは謎の多い歌手らしい。
筑紫「あの人は、世の中とアレルギーを起こしているんじゃないかと時々思うことがありますね」
人々が没入していくところを、目線を引いて捉えようとする作風。
そして、歌詞の言葉に並々ならぬ重点を置いているところが、中島みゆきの特異な点だと筑紫は語る。
筑紫「なら、曲は全然つまんないかというと、そうではなくて、曲の運びがどうしてこんな風に歌と組み合わさんのかなあという気がするんですね」
筑紫は、海外旅行をする時には、中島みゆきの曲が入ったテープをいつも持参しているという。
筑紫「時にはですね、自分が壁にぶつかったりなんかしてる時には、自分をさらに沈み込ませて落ちるとこまで落ちるという感じの気分になったり(笑)」
冬のベルリンの淋しいホテルで夜中に聴いていた時は、「これ以上はもういかん!」とテープを止めたこともあった。
中島みゆきの曲には、暗さがつきまとうが、それだけではない。
筑紫「いくところまでいっちゃった時の開放感というか、カタルシスというか、明るさみたいなものがみゆきさんの世界は持っていると思うんですね」
異物が混じったところに魅力がある。
それは、中島みゆきのラジオで見せるようなキャラクターにも通ずるところがある。
工藤静香の思う中島みゆき
工藤「いいんじゃないんですか、不思議な人は不思議なままの方が好きですね。だから、あえて「あの人は本当はこうなんだよ」とか言いたくないかな」
中島みゆきは不思議なベールをかぶっている方が素敵だと、工藤静香は語る。
だから、工藤は、中島みゆきにプライベートなことを訊いたことがない。
工藤「ただ、どういう人かっていうと、すごく繊細で、言葉をフルに使える人。言葉を充分に理解して使いこなせる人」
そして、中島みゆきの存在の仕方も工藤を魅了する1つの要素。
工藤「けっこう渋い内にいますよね。マイペースで私はすっごい好き!」
決して派手でなく決して地味でもない絶妙なバランス感覚。
工藤は、高校時代に音楽室の掃除をサボってよく『あたいの夏休み』や『やまねこ』を聴いていたという。
その思い出を音楽関係者に話したところ、「では、詞を書いてもらいましょう」という運びになったのだ。
以来、中島みゆきは、多くの曲を工藤へ提供している。
亀渕昭信の思う中島みゆき
亀渕昭信は、中島みゆきのラジオ番組のプロデューサーだった人物。
大阪での仕事中、たまたまラジオのスイッチをひねった時に流れていたのが素っ頓狂な語り口のおしゃべりだった。
それが中島みゆきだと知り、亀渕は衝撃を受けたという。
右のトラックから笑い声、左のトラックから泣き声、やがてそれらがいっしょになっていくというレコードを亀渕は作ったことがあった。
これから得た、「対極するものが意外と近いところにある」という教訓は、中島みゆきにも当てはまる。
亀渕「みんな違う一面を持っているんだと思う。そんなことを彼女って具現化してくれるような人だと思うんです。ラジオって映像が見えないぶんだけ、よりメッセージがストレートに伝わるものだし」
そんな思いで、亀渕は中島みゆきと会い、以来、ラジオという仕事を介して長い付き合いが続く。
中島みゆきの名言集
中島みゆきがこれまでに生み出した名言を紹介。
近所の子供たち、みんなで、縄跳びをしているでしょ。
それを見ていて、入りたいと思うの。
それでどうしたらいいか考えて、声をかけようと思ったときに縄跳びは終わっていたりするの。
そんなとき、自分に悔しかったけどね。
あたしはね、”自分に出会うため”に歌ってるんです。
”もう一人のあたし”がいるみたいな気がするんですね。(75年)
一人でいるのが好きな時もあるし、人といるのがいい時もあるし。
でもしょっちゅう変わるわよ、あたしすごくムラだから。
魚座の人だもん。
言葉の傷というのは本当に深いの。
そして私は言葉に対する憧れがすごく強いんですよ。(77年)
幸せという字は、辛いという字に似ています。
十分に辛い思いをした人が、幸せになれるんだと思っています。(87年)
音楽はおもちゃじゃない。
面白がって飽きたら捨てる、そんなものじゃないと思うんです。(86年)
本気でケンカできる人でなきゃ、一緒に仕事はできないですよ(86年)
決してたいしたこと考えて歌ってるわけじゃないの。
それでも、”歌わされてしまう”ことってある。
それが”歌”だと思う。(91年)
言葉が刃になっちゃうことがあるのね。
ただ、それだけじゃない。
刃になるだけだったら黙っちゃえばいい。
でも、それでは言葉がかわいそうなんじゃないかな。
ただ私の歌を聴いて、どう受け止めどう理解してくれるかは、一人一人違っていて、
それでいいんだと思うんです。
中島みゆきとスティービー・ワンダーが出会うまで
1985年のシングル『つめたい別れ』
別れる時には つめたく別れて 心が残るから
この世も凍ってしまうような言葉 叩きつけて
二人でいたから一人になるのが こんなに難しい
背中へ上着を着せかけて 涙ふいているわ
(『つめたい別れ』より)
印象的なハーモニカの伴奏は、スティービー・ワンダーによるもの。
ここでは、中島みゆきがスティービーと出会うまでの経緯と2人のやり取りが字幕で描かれている。
「Welcome Stevie Wonder」と書かれたケーキ。
スティービーを初めて迎え入れた時の写真と思われる。
中島みゆきとスティービーの出会いは、ロサンゼルスに住む2人の男から始まった。
ゲイリー・オラザバルとボブ・ハーランだ。
スティービーのエンジニアチーム構成メンバーで、1983年には中島みゆきのアルバム『予感』を担当している。
中島みゆきは、この2人と組んだ理由を以下のように答えている。
「スティービーのレコードに入っていた、とある曲の生ギターの音を聴いたとき、この音を録った人に録ってほしいと思った」
1985年の秋、スティービーワンダーが公演のために来日する。
中島みゆきは、ボブからこう言われる、
ボブ「スティービーが、ちょうどいい機会だからあんたに逢いたいって言ってるよ」
みゆき「おい、ちょっと、待て!」
世界的に有名なミュージシャンが中島みゆきに会いたがっているというのだ。
そして、2人が初対面を果たしたのが1985年10月29日。
スティービーのコンサート開演前の楽屋で、2人は握手を交わした。
中島みゆきは、スティービーの印象を以下のように語っている。
「ずっと握手しながら、話し続けていたの。大きくて、暖かい手だった」
1985年11月1日午後9時。
ヤマハ・エピキュラススタジオにスティービーが現れる。
スティービーはこう言った、
「僕を、マイクの前に案内してくれないか」
ハーモニカがぎっしり詰まった箱から、スティービーは1つを手に取る。
そして、吹き始めた。
中島みゆきは、この時のことをこう振り返る、
「スティービーは驚くぐらい何べんも”気に入ってくれたか?”って聞くんですよね」
深夜0時、スティービーはスタジオを後にした。
この夜、生まれたのが、スティービーをフューチャーした『つめたい別れ』だ。
根岸吉太郎の思う中島みゆき
根岸「端的に言うとね、僕は、中島さんやっぱいつも恐い人だなあと思ってて」
こう語るのは、「夜会」のビデオ映像を手掛ける映画監督の根岸吉太郎。
根岸が手掛けた牧瀬里穂を中島みゆきが観て、ぜひにとオファをしたのである。
根岸「「こういうセンスとか資質のある人と仕事がしたい」って言ってくれたことが、すごく僕にとっては緊張感あることだったんです」
根岸は、以前から中島みゆきの曲をよく聴いているという。
中でも印象深い曲が、『「元気ですか」』。
朗読スタイルの異色の作品だ。
「元気ですか」と
電話をかけました
あの女のところへ 電話をかけました
いやな私です
(『「元気ですか」』より)
根岸「語りだけである種1つの世界をきちっと創り上げる人ってのを初めて日本のアーティストの中で見ました」
中島みゆきは、色んな才能を持っている。
その色んな才能を歌だけに収斂させているようにも思える。
根岸の言う「恐さ」とは、中島みゆきが才能を隠し持っているがゆえに、自分が少しでも手を抜けば、すぐに見抜かれてしまうという「恐さ」なのだ。
串田和美の思う中島みゆき
串田和美は、「夜会」が行われていたBunkamuraシアターコクーンの芸術監督だ。
シアターコクーンがオープンする5年前から、どういう劇場にしようか思案していた串田の頭に閃いたのは、演劇の中に音楽を取り込むというスタイルだった。
ミュージシャンが大物になればなるほど、大きなスタジムへ流れていく傾向に、串田は違和感を抱いていた。
それほど広くない空間の中で、観客と音楽を共有する。
それを真摯に考えてくれるアーティストを探していたところ、中島みゆきに行き着いたのである。
串田「「夜会」を観ると、「音楽っていうのは、ただ音のことだけではなくて、その空間をどういう風に支配して、いっしょにそこにいるお客さんたちとどうやって共存するかってことが音楽なんだなあ」ってすごく感じますね」
第1回の「夜会」のパンフレットには、中島みゆきがシアターコクーンの守衛とツーショットで写った写真が掲載されている。
現場を大切にする中島みゆきの一面が、そこから窺える。
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