2004年11月12日にNACK5で放送された「K’s Transmission」に中島みゆきがゲスト出演しているので、その模様をまとめてみた。
お久しぶりの中島みゆきと坂崎幸之助
パーソナリティーは坂崎幸之助。
坂崎「ご無沙汰しておりましたです」
みゆき「いつの間にそんな時間が経ったんでしょう」
坂崎によると、4年前の2000年11月24日に中島みゆきがこの番組に出演して以来ということで。
あっという間の月日に、何もしていないような気がすると答える中島みゆきだが、この4年間何をしていたのだろうか?
みゆき「なんかね、〆切ですよ~って言われて急いで原稿書いて、〆切ですよ~って急いでレコーディングして、〆切ですよ~って言われて歌詞覚えてる間にいつの間にか日が経った~」
だが期限を設けなければなかなか動かない中島みゆきにとって〆切はありがたい存在らしい。
坂崎「じゃ、夏休みの宿題は友達から借りるタイプ?」
みゆき「もちろんで~す」
デビュー30周年の中島みゆき
さて、1975年デビューの中島みゆきは来年30周年という大台を迎える。
特にイベントの予定はないという。
坂崎「新宿コマ2カ月公演一部寸劇歌謡ショーみたいな、どうですか?」
この提案に中島みゆきの妄想が爆走していく。
みゆき「いいかも。
ちょっとヅラの世界にハマってみたいな~。
殺陣とかやってみたい。
ヌンチャクとか(笑)」
カンフー系のライブだったらと中島みゆきが提案する曲は『黄砂に吹かれて』『シャングリラ』。
地味なデビューだった
みゆき「私、デビュー、地味でしたからね。
いつの間にかレコードが出てて、本人がどこにもいなかったというデビューでしたから」
デビューシングル『アザミ嬢のララバイ』をリリースする直前に、中島みゆきの父親が亡くなっている。
そのことがあって、表立った活動を控えたと思われる。
『アザミ嬢のララバイ』の次にリリースされたのが『時代』で、これは坂崎にとっては意外だったようで、
坂崎「じゃポプコンのグランプリは『アザミ嬢のララバイ』の後なんですか?」
みゆき「あのへん、並行してんの。
予選から長いんですよ。
応募して結果が出るまでのあいだにとりあえずありものでデビューしちゃってんですよ。
その後、賞が決まってんですよ」
このへんは確かに込み入ってるので簡単に説明すると、中島みゆきは1975年5月の「第9回ポピュラーソング・コンテスト(略してポプコン)」で『傷ついた翼』を歌い入賞を果たしている。
その後、同年9月に『アザミ嬢のララバイ』でレコードデビューし、その翌月「第10回ポピュラーソング・コンテスト」で『時代』を歌い見事グランプリを受賞したのである。



中島みゆきと坂崎幸之助の接点
坂崎はその中島みゆきのグランプリ受賞を羨ましそうにみていたという。
そんな坂崎幸之助と中島みゆきが、接点を持つようになったのは1976、7年の頃。
当時、研ナオコのバックで演奏していたのが坂崎が所属していたグループ・THE ALFEEだった。
当時の研ナオコは中島みゆきから楽曲提供を受けていて、ステージでは中島みゆきの曲を多く歌っていたのである。
坂崎「『アザミ嬢のララバイ』弾いてましたよ、僕」
坂崎がイントロを手持ちのギターで弾いてみる。
他にも『あばよ』『窓ガラス』も続けて弾く。
みゆき「ゴージャスでしたよねぇ。
アルフィーが弾いているんですよ」
坂崎「あの頃はヒドいもんですよ。
そのへんのアマチュア以下ですから」
所属事務所の田辺エージェンシーで当時のTHE ALFEEはくすぶっていた。
坂崎「将来芽が出んのか出ないのか分かんないのに田辺さんにずっと雇ってもらって」
だが、中島みゆきはその田辺からTHE ALFEEが「ウチの秘蔵っ子」って語っていたのを聞いていたという。


研ナオコ『LA-LA-LA』の誕生秘話
中島みゆきは研ナオコよりまず先に、研ナオコの所属する田辺エージェンシーの社長に会っている。
みゆき「社長の前で歌わされて(笑)」
坂崎「えホントに!? 会議室とかでですか?」
みゆき「そうなんですよ」
坂崎「そりゃ失礼ですねぇ(笑)」
みゆき「目の前で、ラジカセでぇ~んと置いて、どうぞ~って」
その中島みゆきが歌った歌というのが『LA-LA-LA』だった。
みゆき「その場で歌って、「ハイお疲れさんでした、じゃレコーディングすることにしましょ」って、なんてまあ話の早い社長だろって(笑)」
研ナオコは、中島みゆきが初めて曲提供したアーティストだ。
みゆき「他の人に書くなんていう仕事があるってことはウチの事務所も考えていなかったし、私も想像していなかったところへ、私の当時マネージメントしてくれた人が親しい伝手で、いきなり社長さんとこへ」
書いてみたら?と提案されて書いたという、本当になりゆきだったのだ。
持っていった曲が『LA-LA-LA』だったのにも意味があったようだ。
みゆき「自分で歌うくらいのつもりで持ってって。
完璧に仕上げてはいなかったと思う、たぶん。
「自分で歌うのもいいけれど、人に歌ってもらうってんだったら、なんか渡せるもんないの?」みたいな話になって、ヘ?って(笑)
当時私は路線としては、こんなもあんなも書いてはいても、それだとどういう人なのか分からないでしょ?
出たばっかりだから。
で、イメージとしては斜め上45°からちょっと斜め下のすったもんだをってのが中島さんの路線だったんで、『LA-LA-LA』は出しづらかったんですよ、ハジけちゃいますもんね(笑)
「こんなんだったら私は当分歌わないと思いますからいかがでしょ?」って歌ったのが『LA-LA-LA』なの」
アルバム『いまのきもち』について
この放送から1週間ほど前の2004年11月17日に、中島みゆきはアルバム『いまのきもち』をリリースしたばかりだ。
1988年より前の過去の楽曲を瀬尾一三のアレンジによりセルフリメイクしたコンセプトのアルバムだが、どういう狙いがあったのだろう?
みゆき「かつていったんアルバムで出た曲ですが、今コンサートなんかでやろうとすると、こういう感じかな~。
けっこう枚数をいっぱい出しちゃってますのでね、中島みゆきってのを『地上の星』からしかご存じない方もおいでになるわけですね。
他にどんな歌が?ってときに全部お買い上げいただくには、あまりにも無残ですので、ちょっと昔のでこんなのもありましたよってのをチョットね、ダイジェスト版ってことで」
ロサンゼルスのスタジオで現地のミュージシャンを交えて制作したことが、中島みゆきにとっては好都合だったようだ。
みゆき「昔のバージョンをアメリカの人たちは全く知らないワケですからね、やりやすかったですよ。
頭の中にイメージ何もないですから彼らは」

『わかれうた』について
アルバム『いまのきもち』には『わかれうた』も装い新たにして収録されている。
この曲のレコーディングで、のたうち回ったのがアレンジャーの瀬尾一三だったという。
あの、独特のイントロのイメージから頭を離そうと骨が折れたそうな。
だが、それは中島みゆきも同じだった。
みゆき「私だってレコーディングで音出るまでずっと頭ン中ぐるぐるあのイントロが回ってました」
ということで、お届けする曲は、『わかれうた』(『いまのきもち』バージョン)

中島みゆきのCDの枚数について
『いまのきもち』は中島みゆきにとって32作目のオリジナルアルバムになる。
この32作目というのはフツーにスゴいことなのだが、ロサンゼルスではさらに驚異的なことらしい。
ロサンゼルスのミュージシャンにその枚数を告げると、「あなたいったい何歳ですか?」という印象を持たれる。
日本と比べて、アメリカでは、CDを出すスパンというのが長い傾向にあるのだ。
みゆき「日本人は出す枚数平均して多いんですね。
アメリカあたりだと3年も4年もかけて1枚出すってのが普通にありますんで」
それにしても32作目というのはスゴい。
30周年を翌年に控えているワケだから、年に1枚ペースでリリースしていることになる。
よく長い間に渡って走り続けたものである。
だが、そんな中島みゆきも、これまでに長期休暇を考えたことがないワケではなかった。
みゆき「希望としてはあったんだけども、なんかなし崩し的にいつもどっかいっちゃったな~と(笑)
国内にいるとダメみたいね」
だが、海外で暮らすほどには英語に長けているワケでもなく、食事は日本食がいいし。
そういう思いが中島みゆきを日本へとどまらせる。
みゆき「で、日本にいると、「ここは2カ月くらい空くはず」と思ってても、「あ、いるんだったら……」」
そんな感じで、新たな仕事が舞い込んできて、ますます長期休暇からは遠ざかっていくのだ。
曲ごとに変わる中島みゆきのファン層
1994年に発売された『空と君のあいだに』は146万枚のセールスを記録した大ヒットシングル曲である。
この曲が主題歌となった日本テレビ系ドラマ「家なき子」は、主人公が安達祐実扮する小学生。
その影響で、『空と君のあいだに』は、小学生に大いにウケた。
中島みゆきもこの時期、街で小学生と接する機会が多かったそうだ。
みゆき「歌ってる人だとは分かんないから、お母さんが引きずってくるんですよ、ゴ~ォっと、「この人よ~、握手してもらんなさ~い」って、内容が分かんないまま握手するって世界がしばらくありまして(笑)」
意外な年代層に支持を受け、今後どうなっていくか見当がつかなかったが、その後、「プロジェクトX~挑戦者たち~」の主題歌『地上の星』を発表。
今度は、「お父さん層」のファン層がいっきに増えたという。
ずっと中島みゆきの曲を聴いてきたという中年層とはまた別の、1~2曲くらいしか知らないような新たな層を開拓していったのだ。
みゆき「カタギのお父さん(背広姿のいかにも勤め人といった)がコンサートホールで、「もう私どうしたらいいんでしょう」っていう感じでね。
NHKのイメージでいるんでしょうね。
一言喋ったとたんに、「なんじゃこりゃ?」みたいな(笑)
すみません、歌と喋りは別なんです、人格が」
どうやら、『地上の星』で開拓したお父さん層は「オールナイトニッポン」の時の中島みゆきをご存じないようだ。
中島みゆきは、この『地上の星』以来、働く忙しいお父さん世代のために、アルバムの構成を考えるようになったという。
みゆき「アルバムトータルでストーリーにならないっていう作りはしなくなりましたもん。
お父さんそれツラいもん」


同じようには歌えない
アルバム『いまのきもち』のこのタイトル、中島みゆきの歌手としての姿勢を表している。
みゆき「私ね、アルバムで発表するでしょ?
コンサートではその通りには歌えないのよ」
このことは、中島みゆきのコンサートの常連はご存じであろうが、レコーディングであってもそれは同じ。
テイクごとに毎回歌い方が変わるのである。
それゆえ、中島みゆきはダビング形式のレコーディングは不向きなのだ。
コーラスを後で吹き込むというのが不得手なために、最近はそれをアレンジャーの瀬尾一三がやるハメになっているという。
小さいことが気になる中島みゆき
中島みゆきは大雑把なタイプか?細かいタイプか?
本人いわく、両方を行ったり来たりしている感じだという。
みゆき「いらんことは気にすることはある。
いらんこと気にするがゆえに肝心なところがスパアっと(忘れちゃう)」
例えば、コンサートの本番中に、歌詞のことだけ考えればいいものを、ふと床のささくれなんかが目に入ると、スパアッと歌詞がどっかに飛んで行ってしまう。
中島みゆきも坂崎幸之助もステージである些細なものに気を取られてしまうことがあるらしく。
坂崎「マイクのスポンジあるじゃないですか。
ここに綿毛が1本ついてると、あれくすぐって嫌なんです」
みゆき「あれイヤ!(笑)
正面からスポットライトがきてると、1本だけセーターの毛みたいなのがピロ~ンと風で揺れるんですよね。
真面目に歌ってんのに!(笑)」
手ぶらで歌うならまだ取り除けるのだが、そういう時に限って両手がギターで塞がってたりするのだ。
ここで曲。
アルバム『いまのきもち』から、『この空を飛べたら』。

『いまのきもち』で気づいたこと
アルバム『いまのきもち』に収録する曲は、当初は、まんべんなくセレクトする予定であったが、アレンジャーの瀬尾一三から、自分が作った曲については、「まだ生だから熟成するまで待ってね」と言われ、瀬尾一三とタッグを組む以前の昔の楽曲から選ぶことになった。
『いまのきもち』のレコーディングに臨み、中島みゆきは、昔の自分とは変わったと改めて気づかされた。
みゆき「昔の私ならね、すべて男が悪かったのよ。
そうすると、実にストレートで感情込めやすかったんですよ。
コノヤロ~って歌えばね、実にストレートな単刀直入な歌になって分かりやすかったんですよ。
最近、人生の山谷超えていくとですね、「いやあ男の人にも色々あるんだろから私はちょっと悪くもあるかな」とか言いつつ歌うとですね、なかなかコンチキショ~とは歌えないものが(笑)」
『うらみ・ます』について
みゆき「あの頃は私も無謀で分かりやすい女でしたね(笑)」
昔の楽曲を振り返り、中島みゆきが言う。
その分かりやすい女の代表例が『うらみ・ます』だ。
みゆき「本当はあれ私は、「うら」があって書いてたんですけどね、歌い方が単刀直入なんで、そう取ってもらえなかったんですけどね、あの歌。
あれは、私としては自嘲の、自分を笑う歌だったんです。
でも歌ってる間にちょっと、力入っちゃってホントにコンチキショ~にしか取れなかったんですよね。
別に相手にじゃなくって「バカだよね私ってエッヘッヘ」ていう歌のはずだったんで、笑って歌うとか、あの歌をメジャーで歌うってんなら分かりやすかったと思います(笑)」

『傾斜』にちなんで
『いまのきもち』には1982年に発表された『傾斜』もセルフカバーされている。
「としをとるのはステキなことです そうじゃないですか」
という歌詞にちなんで、
坂崎「としをとるのはステキですか?」
みゆき「ステキな部分もいっぱいありますね。
生きててよかったみたいなのがありますねウフフフ」
坂崎「若いころになかなか感じられなかったこととかありますか?」
みゆき「ありますね。
「これはちょっとオイシイ感覚」っていうかね、「昔は味わえなかったこの味が」みたいなのが(笑)」
ということで次にお届けする曲は、アルバム『いまのきもち』より『傾斜』。

渋谷で買い物する中島みゆき
アルバム『いまのきもち』のレコーディングはロサンゼルスで行われた。
なぜ中島みゆきは毎回レコーディングがココなのかというと、瀬尾一三が組みたがっているミュージシャンを集めるのには近場で適している場所なのだからという。
中島みゆきはこの異国でレコーディングのために2カ月ほど滞在する。
坂崎「向こうで自炊するんですか?」
みゆき「するときもありますけど(笑)」
坂崎「渋谷のデパートでも買い物するってメールで来てますよ」
そのメールがこちら。
「今年の8月渋谷の某デパートで鮮魚売り場に行くと、そこにいた先客はなんとみゆき様!
邪魔しちゃならぬと咄嗟に和菓子売り場へ移動したものの、今度はみゆき様が和菓子をお買い求めに。
またそそくさと撤退し、ケーキ売り場へ移動。
と、いつの間にか隣にケーキを食い入るように見つめるみゆき様のお姿が!
でもすでに両手に大荷物だったみゆき様は何も買わずに立ち去られました。
あの時、和菓子を買った後に見つけたケーキの誘惑と闘っていたのでしょうか?
歌姫も普通にお買い物されるんだとビックリしました」
「夜会」の時であればしょっちゅう楽屋から抜け出して渋谷のデパートをふらついているという中島みゆきだが、「夜会」のシーズンではない8月であっても出掛けるくらい渋谷は中島みゆきの庭らしい。
用がなくてもとりあえずウィンドウショッピングを楽しむというのが中島みゆきの流儀。
魚については特別なようである。
みゆき「ツアー行って楽しみの1つって魚屋さん見ること」
坂崎「町の魚屋さん?」
みゆき「うん。
そこらのフツーの魚屋さん見ると、なんじゃこりゃっていう魚が売ってあるでしょ?」
地方ならではの珍しい魚に出会えることが楽しみだという。
惣菜についても、その土地ならではの珍しいものを買って、持ち帰って食べるそうだが、たまに、「なんじゃこりゃ~!」という予想外の味にやられることもあるとか。
こういう時、お忍びの恰好で買い物する中島みゆきだが、レジで精算するときに「明日コンサートがんばってくださいね」と思わぬ声援を掛けられることがあるという。
みゆき「でね面白いのがね、他の売り場に伝令が行くのね(笑)
「エスカレーターで2階あがってたよ」とか(笑)」
つづいての曲。
アルバム『いまのきもち』から『信じ難いもの』。
『いまのきもち』のジャケット撮影裏話
みゆき「このジャケットがね、この先10年、こういうの撮りたくないですね」
ジャケット撮影でつらいことがあったようだ。
撮影は砂漠で行われたという。
実は中島みゆき、紫外線アレルギーで直射日光には弱い。
そのことをカメラマンの田村仁に伝えるも、その日は天気予報で雨だったので、何とかなるだろうと高を括っていたが、予想に反してピーカンの晴れ模様。
みゆき「晴れたら止めるのかと思ってたら、やっちゃうんだも~ん」
英訳の歌詞カードをつけるようになった理由
坂崎がCDになぜ英訳の歌詞カードが入っているのか不思議がる。
みゆき「アメリカ進出の希望はぜんぜんないんだけど、アジア圏に発売されてるんですよ。
その時にとんでもない意外な訳をされてることがあって。
英語にすると主語述語がないと成立しないのね。
そうすると、大間違いはしづらいの」
日本語の曖昧さというのは誤解を生みやすいという。
例えば、今回のアルバム『いまのきもち』に収録されている『横恋慕』をとってみても、歌の中のこっちからかけた電話に出た相手が女なのか男なのかハッキリしない。
『歌姫』においても、歌姫の視点から描かれているように英訳されそうになったことを明かしている。
実際、『歌姫』は、歌を聴く客側の視点から描かれている。
さて、この英訳を手掛けているのはどんな人かというと、ニューヨークで活動しているシンガーソングライターであった。
同業者とあって、歌詞に合った英語をチョイスするセンスに唸ることが多々あるんだとか。
みゆき「「うまい!」っていう時あるもん。
意訳してんだけど、「私、そっちの方の歌詞にしたかった!」ってくらいのを書いてくるの」
中島みゆきの使っているギター
ヤマハのサイレントギターの広告にここ最近露出していることにちなんで、リスナーからこんなメールが。
「ギターを全部で何本くらいお持ちですか?」
みゆき「約20本くらいです」
坂崎「その中で自分が気に入ってるものは?」
みゆき「私の場合、どっちかというとギブソン派。
12弦でギブソンが持ちやすかったんですよ、細くって」
とはいってもビンテージなもので、ちょっと強めに弦を張ったらポキッと折れそうなので、ツアーには持っていかず普段は自宅へ置いてあるのだそう。
エレキなど様々なギターを試してこだわったのち、結局ギターではないところで勝負しなければならないという思いに至ったという。
プロテインを飲んだ結果
来年1月から始まる全国ツアーを前に、中島みゆきは歌詞をまだ覚えられていないようだ。
中島みゆきは、昔、たんぱく質が記憶力にいいという情報をどっかから入手して、プロテインを飲み続けた時期があったらしい。
ちょうど『夜会VOL.7 2/2』のリハーサルが行われているときだった。
飲み続けた結果どうなったか?
みゆき「ある日とつぜん気がついたら二の腕に力こぶが! バコ~ンて!」
その場にいたスタッフは、中島みゆきの二の腕にびっくりしていた。
結局、筋肉はついたが、記憶力は身につかないというありさま。
そのついた筋肉もしぶとく、取るまでに2~3年かかったという。
後に中島みゆきは、良質のプロテインとある程度の重さを持った規則的な継続した運動が、筋肉を育てるのに貢献するという話を聞いた。
思い当たることといえば、ハンドマイク。
適度な重さを持ったハンドマイクを持ち続けることによって、二の腕に立派な力こぶが形成されたのだと中島みゆきは推察する。
ラストはアルバム『いまのきもち』から『歌姫』。

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