2010年10月13日に放送された「坂崎幸之助と吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD」に中島みゆきがゲスト出演しているのでその模様をまとめてみた。
中島みゆきと吉田拓郎の関係
坂崎幸之助と吉田拓郎がDJを務める番組に中島みゆきがゲスト出演するということで、吉田拓郎が冒頭からはしゃいでいる。
吉田拓郎は中島みゆきに恩義があるという。
1995年には吉田拓郎は中島みゆきに頼んで『永遠の嘘をついてくれ』という曲を書いてもらった。
そして、2006年のつま恋ライブではシークレットゲストで中島みゆきがステージに登場し、吉田拓郎とこの曲をデュエットした。
この時のことを拓郎は、こう振り返る。
拓郎「すっかり持ってかれたっていうね。
私がメインのライブなのに(笑)」
坂崎「あの時、拓郎さんだれも見てなかったですからね(笑)」
瀬尾一三もゲスト
これまでに堀北真希や小栗旬、朝青龍など大物ゲストを迎え入れたこの番組であるが、中島みゆきは特別気を遣うという吉田拓郎。
今回、もう1人、瀬尾一三もゲストに来てくれている。
瀬尾一三は、1988年から中島みゆきの楽曲のアレンジを手掛けている。
瀬尾一三の紹介を経て、いよいよ、中島みゆきが紹介されることに。
みゆき「このまま喋らないで帰ろうかと思った~。
こんばんは、よろしくお願いします」
実はこの間、吉田拓郎と坂崎幸之助の2人のお喋りだけがオンエアされていたのだが、ずっと横には中島みゆきが黙ったままスタンバイしていたのだった。
コンサートは予習しないで来てください
さて、現在、ツアーのリハーサル中という中島みゆき。
そして、このオンエアの日に、ニューアルバム『真夜中の動物園』をリリースした。
拓郎「アルバムとツアー、どっちが大事なの?」
坂崎「僕の場合、アルバムで予習してツアーに来てくれってことは言いますけどね」
拓郎「中島さんは?」
みゆき「予習しないで来てください。
間違っても会場で歌詞カード見ないでください。
覚えてないから」
ライブの後にアルバムで復習してもうというのが中島みゆきにとっての理想の形であるようだ。
中島みゆきの芸名について
1970年に広島から東京に出てきた吉田拓郎は、エレックレコードに所属した。
その時、これからの芸能活動をやっていく中で本名の吉田拓郎でなく「入江剣」という名前に改めたいと社長に申し出たことがあった。
では、中島みゆきの場合はどうだろうか?
中島みゆきは、本名は「中島美雪」と書く。
なぜ、漢字から平仮名に改めたのだろうか?
拓郎「北海道らしいよね「美」しい「雪」ってのは」
みゆき「あの字を書こうとすると横線がすごい多いの。
やたら横線なの。
お習字の時間、ダンゴになっちゃうの。
だから、ちゃっちゃと書きたいなと思って平仮名にしたの。
サインするとき楽だから」
意外にも、実用性を狙った改名だったらしい。
サインするという点では、瀬尾一三という名前は非常に楽である。
拓郎「瀬尾ちゃんなら「一」に「三」だぞ(笑)」
瀬尾「悲しいけど、俺にサインしてくれって誰もいないから」
坂崎「「一」と「三」って、ぜんぶ横(笑)」
吉田拓郎は、芸名の方の「みゆき」の方がきれいでやわらかく角がないところが気に入っている。
実はそんな吉田拓郎もデビュー当時は「よしだたくろう」と平仮名表記だったのだ。
拓郎「「中島みゆき」を「入江剣」のように変えようとは思わなかったの?」
表記ではなく、根本から芸名を変えようとは思わなかったのだろうか。
みゆき「別の名前ってのは考えたことないかも。
ミドルネーム入れようってのは冗談で言ったことありますけれども。
「中島・ジュヌヴィエーヴ・みゆき」とかね(笑)
昔、憧れてたの、ジュヌヴィエーヴ・ビュジョルドって人に」
ジュヌヴィエーヴ・ビュジョルドは、『戦争は終った』『1000日のアン』などの映画に出演していたカナダの女優だ。
アルフィーと中島みゆき
ここでリスナーからのメールを紹介。
「昔、みゆきさんのオールナイトニッポンにアルフィーがゲストで来た時があって、みゆきさんは高見沢さんが結構気に入られて、ヘリコプターで釣って帰りたいとおっしゃられていました。
あれから四半世紀経ちましたが、今でもその思いは健在なのでしょうか?」
アルフィーとは坂崎幸之助が所属する3人組ロックバンドである。
「中島みゆきのオールナイトニッポン」に招かれたアルフィーはそこでうどんを御馳走になっている。
それより以前のある日、アルフィーの3人は、高松のうどん屋の店頭でやってる手打ちの工程をジッと眺めていた。
偶然にも、その時、店内でうどんを食べていたのが中島みゆきだった。
中島みゆきの目にはアルフィがうどんを物欲しげに眺めているように見えたため、いつか自分のラジオ番組に呼び、うどんを思う存分食べさせてあげようと思っていたのである。
みゆき「すごい勢いで見てたもの。
しがみついて見てたもん(笑)」
その放送回で、高見沢をヘリコプターで釣って帰りたいと中島みゆきは言ったそうだが、当の本人は覚えていないようだ。
拓郎「高見沢には関心があるの?」
坂崎「色が白いとこは似てるかもしんないけど」
だが、中島みゆきが惹かれた部分はそこではない。
みゆき「あのエキセントリックな感じがなかなか」
拓郎・坂崎「感じだけね」
みゆき「え、感じだけ?」
坂崎も拓郎も、そしてファンの大部分が高見沢の本質を知っている。
見た目はエキセントリックでも、中身は意外と男らしくガサツな体育会系らしいのだ。
そんな高見沢は、なるほど体育会系らしく、残しちゃいけないからと番組で出されたうどんを全部たいらげてしまっていた。
みゆき「見た目、ちょっと病弱そうだけど、頑張ってるって風に見えましたけどね」
坂崎「一番強いですよ、彼は」
拓郎「その中では、俺が一番病弱かな(笑)」
坂崎「関係ないでしょーが(笑)
なんで4人目のアルフィーになろうとするんですか(笑)」
拓郎「すぐグループとか、中島みゆきのコンサートツアーのメンバーとか、そういうとこに入りたがる寂しがり屋なんだよね(笑)」
瀬尾一三といっしょの理由
拓郎「瀬尾一三さんが、意味が分からずおいでになりました。
中島さんのボディガードということでしょうか」
瀬尾「金魚のフンでもいいです(笑)」
当初、中島みゆきのみがゲストとして出演する予定であったが、なぜ瀬尾一三もついてきたのだろうか?
みゆき「この番組のお話いただいたとき、私、「瀬尾さんが出るんなら行かせていただきます」って言ったの。
きっと瀬尾さん面倒くさがりだから行かないだろうなって思ったら、行くって言ったから来たの」
瀬尾一三は、吉田拓郎とも中島みゆきとも古くから仕事で関わっている。
吉田拓郎も聴いた『真夜中の動物園』
さて、ニューアルバム『真夜中の動物園』のPRも、中島みゆきがこの番組に出演するもう1つの理由であろう。
拓郎「全部聴きました」
みゆき「え!」
拓郎「疲れちゃった(笑)
みゆきのアルバムは疲れるんだ」
みゆき「もっとちょびちょびってたまに聴いてくださいな」
このアルバムには吉田拓郎のミュージシャン仲間も参加しているようで、中島みゆきの歌だけでなく、伴奏の方も気になって聴いていたようだ。

アマチュア時代の中島みゆきの音楽について
拓郎「アマチュア時代にどんな音楽やってたの?」
みゆき「音楽舎系」
音楽舎系、あるいはURC系とも言う。
URC(アングラ・レコード・クラブ)は、政治批判や差別など放送禁止用語を含み、放送でオンエアできなかったりメジャー販売できない楽曲を自主制作で発売するために設立された会員制のレコードクラブである。
五つの赤い風船や遠藤賢司、岡林信康などが所属していた。
みゆき「アマチュアで呼び屋さんのバイトしてたから。
その楽屋のお掃除とかしてたりして」
坂崎「じゃ、札幌に赤い風船とか来るときは、みゆきさんは――」
みゆき「お茶子してたの」
坂崎「あら!」
アマチュア時代の中島みゆきは、基本的には自分の歌を歌っていたが、アマチュアで何人かで間に合わせで女手が必要になった時に、助っ人としてパートの部分を歌っていたらしい。
拓郎「一時、女岡林とか言われてたよね?」
みゆき「え?」
女版岡林信康ということだろうが、中島みゆきには思い当たるものがない。
拓郎「岡林の曲とかやってなかった?」
みゆき「やらないと思うけど」
吉田拓郎が初めて中島みゆきと出会った日
拓郎「今だから初めて話すけど、バイタリスフォークビレッジで札幌大会に行ったときに楽屋にいたよね?」
バイタリスフォークビレッジとは、1966年から1982年までに放送されていたラジオ音楽番組で、アマチュアミュージシャンの発掘の場としても兼ねていた。
みゆき「いますね(笑)」
拓郎「そん時に白いミニスカートだったんだよ」
みゆき「うわ~!」
坂崎「あら拓郎さん、それレアな話」
拓郎「かわいい女の子だなっていう印象があって」
その時、中島みゆきも札幌代表として出演していた。
吉田拓郎が中島みゆきを初めて目の当たりにしたのがここ札幌であった。
吉田拓郎と中島みゆきのアルバムづくり
『真夜中の動物園』は完全な新曲のオリジナルアルバムとしては、2007年の『I Love You, 答えてくれ』以来、3年ぶりである。
拓郎「3年ぶりって立派だね」
スティービー・ワンダーに至っては10年ぶりのアルバムを出したりと、吉田拓郎のように思い立ってすぐ曲を作る人間からは、このような長いインターバルで曲を温め続けるアーティストは尊敬に値するようだ。
拓郎「レコーディングだと思ってワッと詰め込むタイプなのか、それとも曲を貯めていくタイプ?」
みゆき「あったのから引っ張り出してくるタイプ」
拓郎「普段ずっと作ってるってことか?」
みゆき「ゆっくりゆっくりね。
書くのがものすごい遅いから」
坂崎「じゃいつもストックしているってこと?」
みゆき「といえば聞こえがいいけど、「発売日決まりました~」って言ってからじゃ間に合わない。
なので3年」
吉田拓郎はというと3曲できた時点でアルバムにしたいという思いに駆られるという。
拓郎「早くやってそっから逃れて早く終わりにしたいワケ」
レコーディングスタッフとも会いたくないくらいのせっかちぶりである。
さて、中島みゆきの話に戻ろう。
中島みゆきのレコーディングは、ロスと日本の往復を約3カ月かけて行われる。
中島みゆきのレコーディングはリズム隊(ギター、ベース、ドラム、ピアノで構成されるセクションのこと)との同時録音が基本。
拓郎「美空ひばりだね」
美空ひばりもこの形態でのレコーディングだったようである。
みゆき「後で孤独に歌うのって嫌になりません?」
拓郎「ヤダね」
みゆき「ヤでしょ?」
瀬尾一三曰く、リズム隊といっしょに歌って、後で歌い直しは一切しないらしい。
拓郎「それ、すごい男らしいな」
みゆき「そんでね、後で歌だけ歌うとね、演奏何回やっても同じ演奏が流れてくるでしょ。
あれ、嫌じゃない?
「どうして私は違うのに、みんなは一緒なの?」って思いません?」
同時録音には、こちらの歌の出方次第で、返ってくる演奏が変化していく。
色味の違うパターンを何テイクか録って、その中から良いテイクを選ぶというのが、中島みゆきのやり方なのだ。
拓郎「俺もそうしよ!
その方が早いわ!」
同時録音なら、スケジュールの時間をやりくりしなければならない手間が省ける。
どうやら、せっかちな拓郎のニーズをこの手法は満たしているようだ。
中島みゆきは、瀬尾一三と組むようになってから、この同時録音という手法を取るようになった。
それは、瀬尾一三のアイディアだった。
さて、ここでニューアルバム『真夜中の動物園』から吉田拓郎のお気に入りの1曲。
拓郎「ぽわ~んと聴いてほにゃっとなりました」
『夢だもの』
瀬尾一三は『悪女』を歌えない
拓郎「瀬尾ちゃん『悪女』歌えないじゃない」
どういうことだろうか?
坂崎幸之助のギターの伴奏で『悪女』を歌い始める瀬尾一三。
「隠しておいた言葉がほろり
こぼれてしまう 「行かないで」」
のところで拍を詰めて歌うため、最後の「行かないで」のところが上手く歌えないのだ。
実は、吉田拓郎も同じような失敗をやらかしてしまう。
ということで、ここでお手本として中島みゆきが『悪女』を歌ってみせる。
さらりと歌っているが、ラジオ番組の中で中島みゆきの生歌が聞けるというのは、かなりレアである。
拓郎「中島みゆきの曲は特徴があって、独特の譜割りがあるから」
坂崎「言葉の乗せ方が面白いもんな」
みゆき「え、そうですか?」
譜割りとは、音符にたいして歌詞の一音一音をどういうふうに割り当てていくかという作業で、吉田拓郎曰く、中島みゆきはその譜割りがユニークで、同じコード進行でも違って聞こえるんだとか。

プロデビュー後に中島みゆきがプライベートで歌っていた曲
アマチュア時代は、URC系の曲を好んで歌っていた中島みゆきだが、プロデビューした後は、どんな曲を聴いていたのだろうか?
吉田拓郎の場合は、舟木一夫や橋幸夫あたりの曲を聴いていたというが、
みゆき「その時期でいえば、やっぱりURCの前座をやってた都合上、「いの~ちはひと~つ」(加川良の『教訓I』)とか、斉藤哲夫さん」
拓郎「じゃ、一般的な流行歌みたいな、テレビで歌っている藤圭子とかヒットした曲は?」
みゆき「テレビがなかったの!
家にはあったけど寄宿舎の方にはなかったの」
テレビがなかったのはデビュー前の話のようだ。
バイトの前座の時にリハーサルで聞く歌が、中島みゆきにとっての全てだったようだ。
すごく暗い歌ばかり聴いてきたようだが、そんな中島みゆきも小学生の頃は明るい歌を歌っていたという。
みゆき「家で「カワイイベイビ~ハイハイ」(中尾エミ『可愛いベイビー』)って歌ったら、父親に「品のない歌を歌っちゃいけない」って言われて以来、歌いません(笑)」
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