中島みゆきが1976年に研ナオコへ提供した曲『LA-LA-LA』
研ナオコが歌った中島みゆきの曲の中で、初めて世に出たのがこの曲。
先に出来あがっていたのは『あばよ』だったが、セールス的な戦略から『LA-LA-LA』が先行してリリースされた。
中島みゆきによるカバーはCDには収録されていないが、1991年の「夜会」の中で歌われ、映像として残っている。
『LA-LA-LA』にまつわるエピソードをみていこう。
この記事は、
- 『あばよ』より先に『LA-LA-LA』をリリースした理由
- 中島みゆきが会議室で歌わされた『LA-LA-LA』
- 研ナオコが初めて中島みゆきと対面した日
について書いてます!
中島みゆき『LA-LA-LA』
作詞・作曲 中島みゆき
研ナオコに提供された曲
『LA-LA-LA』は中島みゆきが研ナオコに提供した曲で、1976年6月25日にシングルリリースされた。
B面曲には、中島みゆきが作詞・作曲を手掛けた『雨が空を捨てる日は』が収録。
週間オリコンチャート12位を記録し、この曲で「第27回NHK紅白歌合戦」への初出場を果たしている。
『雨が空を捨てる日』は、後に中島みゆきもセルフカバーしており、1976年10月25日リリースのオリジナルアルバム『みんな去ってしまった』に収録された。
『あばよ』より先に『LA-LA-LA』をリリースした理由
研ナオコは、中島みゆきが初めて曲を提供したアーティストである。
当時、他人に曲を書くということは、中島みゆきや彼女の所属する事務所も想像すらしていなかった。
この記念すべき提供曲の第1弾は、表向きは『LA-LA-LA』ということになっている。
だが、実際、中島みゆきが最初に研ナオコに差し出した曲は、『LA-LA-LA』の次にリリースされた『あばよ』だった。
なぜ、『LA-LA-LA』の方が先駆けてリリースされたのか?
2004年「文芸ポスト」冬号の研ナオコのインタビュー記事によると、セールス的戦略が要因だという。
1975年に発表した研ナオコのシングル『愚図』がヒットした後に、『あばよ』を続けてリリースするのは寂しい印象が重なりかねない。
スタッフとの会議を経て、『愚図』とは異なる軽い曲調の『LA-LA-LA』を間に挟むことになったのだ。
だが、研ナオコは『LA-LA-LA』に『あばよ』と同じ匂いを嗅ぎ取っていた。
彼女はこう語っている。
「この歌に出てくる女性というのは、勝気なところも感じられますよね。でも、歌い方によっては、あるいはテンポを変えたら、メロディは『あばよ』と近いものもある」
曲の雰囲気を変えるために、編曲を担当したクニ河内に頼んでパーカッションを入れてもらい、ラテンの感じを出したという。
中島みゆきが会議室で歌わされた『LA-LA-LA』
2004年11月12日放送の「K’s Transmission」(NACK5)の中で中島みゆきは、『LA-LA-LA』を提供したいきさつについて語っている。
当時、中島みゆきは、駆け出しのシンガーソングライター。
自身のカラーを打ち出していくためには、あれもこれも歌うわけにはいかなかった。
持ち歌の中から、自分では当分は歌わないだろう『LA-LA-LA』を選び、渡したのである。
中島みゆきは、事務所の社長の前で、この曲を披露したことを振り返っている。
研ナオコが所属する田辺エージェンシーの社長は、中島みゆきを会議室みたいなところへ通した。
目の前にラジカセを置いて、そこから流れる伴奏に合わせて1曲歌わせたのだ。
そして、『LA-LA-LA』を歌い終えた中島みゆきに社長が一言、
「ハイお疲れさんでした、じゃレコーディングすることにしましょ」
なんて話が早い人なんだろうと思ったという。
研ナオコが初めて中島みゆきと対面した日
2004年「文芸ポスト」冬号の研ナオコのインタビュー記事によると、研ナオコが中島みゆきに初めて会ったのが、『LA-LA-LA』のレコーディングの時だった。
予め、中島みゆきが来ることは聞いていた研だが、スタジオ入りしてもそれらしき姿はない。
スタッフに教えられるまで、すみっこの方に座っていることには気づかなかったという。
研は、この時の中島みゆきの様子をこのように語っている。
「めがねをかけて、髪の毛を1つに束ねて三つ編みにしている女の子が、ちっちゃくなって、短い鉛筆でノートに何か書いていた。ちっちゃい人が、何か必死でお勉強しているって感じ」
それは研ナオコには意外だったようだ。
それまで、中島みゆきの歌声から想像していたのは、浅川マキのような女性だったからだ。
声を掛けると、中島みゆきは立ち上がって「こんにちは」とか細い声で返した。
互いにボソボソとした声で会話しているうちに、研は悟った。
「あっ、何かわかった、この人、わかった」
言葉を交わさなくても、通じ合うものを感じたという。
中島みゆきが歌う幻の音源
自分では当分歌わないだろうと研ナオコに渡した『LA-LA-LA』だが、1976年から1977年にかけてのコンサートで中島みゆきは、この曲を歌っている。
だが、それよりも前に、中島みゆきの『LA-LA-LA』を耳にしている人物がいた。
ALFEEの坂崎幸之助と高見沢俊彦だ。
2021年3月14日放送の「あの年この歌2時間SP~ニッポンを元気にした希望の歌!~」(BS テレ東)の中で、高見沢がこのことについて触れている。
当時、研ナオコのバックバンドとして活動していた坂崎と高見沢は、よく研ナオコと行動を共にしていた。
ある日、研ナオコの車に乗っていた時に流れていたのが『LA-LA-LA』だ。
「これ今度やるんだよ~」と、レコーディングへの意気込みを2人に語り聞かせた。
そう、この時流れていたのは中島みゆきの歌声が入ったデモテープだったのだ。
『LA-LA-LA』はこんな曲
恋人に愛想を尽かして、1人旅へ出た女の気持ちを歌っている。
女の取った行動は果たして裏切りか?
明るい曲調の中には、女の寂しさが覗いてみえる。
遠い昔は こんなあたしでも
あいつの話は 信じ込んだ
そのお返しにあいつは愛を
信じるなと教え込んだ
(『LA-LA-LA』より)
『LA-LA-LA』のみんなの感想
研ナオコの「LA-LA-LA」は、中島みゆき版ルージュの伝言だよな。って思ってる。
— now (@now_19xx) July 16, 2018
ラララで思い出した曲。この頃の研ナオコは出す曲全てヒットしてた。この曲は中島みゆきの作詞作曲なんだな。
研ナオコ – LA-LA-LA https://t.co/XIOJ3ck3qG @YouTubeより
— Green Pepper (@r2d2c3poacco) May 1, 2021
研ナオコのLA-LA-LA、何度聴いてもどう考えても不幸なのに、ナオコ氏は明るく歌ってて涙が出ちゃう。
— 雑地区好餌@社会福祉士試験を受けるゲイ (@k_zochiku) March 4, 2021
本人映像
『夜会VOL.3 KAN(邯鄲)TAN』
1991年上演。中国の故事「邯鄲の夢」をモチーフに、クリスマスの夜に見た夢の中で、真実の愛に気づいていく女の姿が描かれている。
幼い子から老婆までを中島みゆき1人が演じている。
カジュアルなパジャマ姿で、「イライライラ~!!」というセリフの繋がりで『LA-LA-LA』が歌われている。
『夜会工場VOL.2』
2018年上演。「夜会」の総集編ともいうべき「夜会工場」の第2弾。
かつての「夜会」の名シーンをセットや衣装ごと切り取って再現している。
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