1979年の中島みゆきのアルバム曲『あばよ』
中島みゆきが研ナオコのために書き下ろした。
中島みゆきが他のアーティストに提供した初めての曲となる。
研ナオコが、中島みゆきに曲を依頼した経緯や、2人の出会いについてみていこう。
この記事は、
- 研ナオコが中島みゆきに曲を書いてもらおうと思った経緯
- 中島みゆきと研ナオコの出会い
- 『あばよ』は中島みゆき自身を歌った曲
について書いてます!
中島みゆき『あばよ』
作詞・作曲 中島みゆき
編曲 後藤次利
研ナオコに提供された曲
週間オリコンチャート1位
『あばよ』は、中島みゆきが研ナオコに提供した曲だ。
元々は1976年8月25日リリースのアルバム『泣き笑い』の収録曲だったが、同年9月25日にシングルカットされ再リリースされた。
ちなみに、B面曲は、中島みゆきが提供した『強がりはよせよ』。
シングル『あばよ』は、研ナオコにとって初となる週間オリコンチャート1位を獲得した。
これは、中島みゆきの楽曲としても初の1位獲得作品でもある。
累計64.7万枚を売り上げ、研にとって最大のヒット曲となった。
『あばよ』がヒットした1976年、研ナオコは多くの賞を受賞している。
- 日本レコード大賞歌唱賞
- 日本歌謡大賞放送音楽賞
- FNS歌謡祭最優秀歌謡音楽賞
またこの年、研は、中島みゆきが提供した『LA-LA-LA』で紅白歌合戦へ初出場を果たして、実りある1年だったと言える。
曲依頼のきっかけは『アザミ嬢のララバイ』
研ナオコが、中島みゆきの歌を初めて耳にしたのは、移動中の飛行機の中でだった。
2004年「文芸ポスト」冬号のインタビューで、研は、この時のことを振り返っている。
機内のオーディオチャンネル用のイヤホンを耳にして、まどろんでいた時に、ちょうど流れてきたのが『アザミ嬢のララバイ』だった。
「これはなんなの、なに! この歌は! としか言いようのない曲が、耳に、いや、耳というより胸に響いてきて」
研にとって、詞もメロディも、リズム、声質、歌い方まで、これまでに聞いたことのない曲で、かなりの衝撃だった。
研は、その曲を、1つの音も聞き漏らすまいと全神経を集中させた。
プログラムを開いて、ようやく、この歌を歌っている人が「中島みゆき」だと知るのだった。
「この人に曲を書いてほしい」
そう思った研は、さっそく隣に座っていたマネージャーに手配を頼んだのだった。
中島みゆきから見た研ナオコ
一方、この頃の中島みゆきは、研ナオコをテレビの中で見ていた。
当時、カメラのCMに出演していた研ナオコは、滑稽な三枚目役を演じていた。
中島みゆきが見ていたCMの内容はこうだ。
- カメラを持った愛川欽也とその隣に研ナオコ。
- 愛川が最近凝り始めているという一眼レフのカメラを自慢し、美人しか撮らないというポリシーをひけらかす。
- 愛川と研が笑いながら見合う。
- ニタニタ笑う研に対して愛川は決してシャッターを切ろうとしない。
研から曲依頼を受けた中島みゆきは、このCMから、このような印象を抱く。
「あれだけ人を笑わせることができるんだから、泣かせることもできるんじゃないか?」
これがやがて、『あばよ』へと繋がっていく。
研ナオコに届けられたデモテープ
2004年「文芸ポスト」冬号のインタビューで、研ナオコは、『あばよ』を初めて聴いたときのことを振り返っている。
研のもとには、中島みゆきの歌声が吹き込まれた『あばよ』のデモテープが届けられた。
ギターのみの弾き語りで、歌以外のメッセージは何も入っていなかったという。
2016年9月29日放送の「甦る歌謡曲」(テレビ朝日系)の中で、初めてこのデモテープを聴いた時の衝撃を語っている。
「私には歌えない」
研は、この曲の世界観に圧倒されていた。
研ナオコの思う『あばよ』の難しさ
「この世界を歌いきれなかったら、これはもう歌手としてだめだな」
研ナオコにとって『あばよ』は歌い手としての試金石だった。
研には、この曲が痛いほど共感できた。
2004年「文芸ポスト」冬号のインタビューでは、このように語っている。
「自分の心の中に持っていた感情というのが、彼女の歌とぴたっと重なったんです」
泣かないで泣かないで 私の恋心
あの人はあの人は
お前に似合わない
(『あばよ』より)
よく分かるがゆえに、どう歌えばいいのか葛藤があった。
中島みゆきの個性を崩してはいけない一方で、そこに自分を入れていかなければならない。
何度もデモテープを聴いて、試行錯誤が始まった。
「あっ、彼女はこういう歌い方をする。じゃ、この歌い方を消さないように、そこに私が入っていって、研ナオコの歌にしないといけない」
飽くまで、自分というフィルターを通して歌う。
それが、研の出した結論だった。
歌う難しさは技術的な面も大きい。
研ナオコは、レコーディング中、息継ぎするタイミングが掴めず苦労したようだ。
一方、中島みゆきはというと、歌いやすい曲としてみているようだ。
1977年「週刊女性」2月15日号のインタビューでは、以下のように答えている。
「伝統的な歌謡曲の手法をふまえていないだけに、うたいやすい、楽な歌だと思いますけどネ」
中島みゆきが初めて他アーティストに提供した曲
『あばよ』は中島みゆきが初めて他アーティストに提供した曲だ。
中島みゆきは、研ナオコに『LA-LA-LA』という曲も提供している。
『あばよ』より先にリリースされているため、こちらの方を初めて他アーティストに提供した曲とする見方もある。
だが実際、中島みゆきが研ナオコに最初に渡した曲は『あばよ』なのだ。
『LA-LA-LA』が『あばよ』よりも先にリリースされたのは、戦略的な理由からだ。
当時、研ナオコは『愚図』という曲をヒットさせたばかりだった。
悲しい女を歌ったこの曲の後に、また悲しい女の曲『あばよ』は重すぎる。
明るい曲調の『LA-LA-LA』を間に挟むことで、『愚図』も『あばよ』も双方が生きるだろうという狙いがあったのだ。
中島みゆきにとって、初めての提供曲は思い入れの強いものであったようだ。
1977年「月刊平凡」1月号のインタビューでは、研ナオコの歌う『あばよ』を聴いて、初めて自分の作った曲を名曲と思い、部屋の中で14回も聴いたことを明かしている。
中島みゆきとの初対面
2018年2月13日放送の「あの年この歌~時代が刻んだ名曲たち」(BSジャパン)で、研ナオコは、初めて中島みゆきと対面した日のことを語っている。
レコーディングの日、研ナオコはスタジオで中島みゆきと会うことになっていた。
だが、来てみると、どこにも姿が見当たらない。
スタッフに教えられ、ようやく部屋の隅の暗いところに中島みゆきの後ろ姿を見つけたのだ。
目立たない感じで座っていて、髪を結わいて、メガネかけて、小さく何か書き物をしている。
物静かな感じで挨拶する中島みゆきは、ラジオDJにみるようなぶっ飛んだ印象とは全く違っていたという。
中島みゆき自身を書いた曲
1980年1月3日放送「みゆきと飛んで60分」(HBS)の中で、中島みゆきは『あばよ』について、研ナオコを意識して書いた曲ではないと語っている。
もちろん、研ナオコに依頼を受けて書いた曲ではあるが、1976年「週刊明星」12月19日号のインタビューでは以下のように答えている。
「私自身のことを書いたのよ。器用じゃないから、フィクションは歌にできないの。自分の体験、自分の気持ち、いつでもそれが出ちゃう」
明日も今日も 留守なんて
見えすく手口 使われるほど
嫌われたなら しょうがない
笑ってあばよと 気取ってみるさ
(『あばよ』より)
1977年「週刊女性」2月15日号のインタビューでは、この曲の主人公について「ドジとしか言いようがないですねエ」と答えている。
一方で、研ナオコの存在も、この曲を生み出すためには欠かせなかったようだ。
1978年「ヤングギター」1月号のインタビューでは以下のように答えている。
「半分ぐらいは彼女がいたから書けた。彼女があたしの歌を引っ張り出したってことだと思うね」
この頃、中島みゆきは様々な雑誌のインタビューで『あばよ』について答えている。
いずれにおいても、研ナオコと自分の性格が重なるところが大きいという内容だ。
2007年放送の「たけしの誰でもピカソ」(テレビ東京)では、中島みゆきが研に宛ててこんな手紙を送っている。
研ナオコの生活を聞き取り調査して書いた曲ではないのに、研ナオコが歌うとまるで、最初から研ナオコのためにあるような曲に思えてくるから不思議。
この場合の自分は、研ナオコの筆記用具みたいなもの。
『あばよ』はこんな曲
嫌われてしまったなら、諦めるより他はない。
傷つかないように、自分に言い聞かせる慰めの言葉がまた切ない。
泣かないで泣かないで 私の恋心
あの人はあの人は
お前に似合わない
(『あばよ』より)
『あばよ』のみんなの感想
「あばよ」の歌詞かっこよすぎんだろと思ったら中島みゆき作詞作曲なのか……納得
— 土鳩 (@sakamaki3i) February 18, 2021
『あばよ』は研ナオコさんに書いた曲なんだけど本当に名曲。特に2番の歌詞は会話をよく音に乗せたなぁと子供ながらに感動した記憶が😌#嫌われたならしょうがないよね #中島みゆき
— まふ (@sakuranmosu) January 12, 2021
傷心のとき紀伊国屋で聴いた曲。「あの人はお前に似合わない」。救われたと思いその場で「この曲ください」。43年後ふと思い出しアマゾンで検索。いい時代だ。翌日届いた。バッハのCD「音楽の捧げもの」と一緒に梱包された一枚。決して聴き劣りしない。中島みゆき作詞・作曲「あばよ」を研ナオコで。
— 井山弘幸 Literature&Music, Epicurism, Improvization (@brunnenberg1955) April 24, 2020
カバーしたアーティスト
ちあきなおみ
1977年のアルバム『ルージュ』に収録。
ちあきなおみにとって、『あばよ』は中島みゆきと出会うきっかけとなった曲だ。
ちあきなおみは、この曲に魅了され、曲を書いてもらおうと思い立った。
こうして生まれたのが『ルージュ』という曲だ。
徳永英明
2010年のカバーアルバム『VOCALIST 4』に収録。
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収録アルバム
『おかえりなさい』
1979年リリースのオリジナルアルバム。
中島みゆき初のセルフカバー集。
- 研ナオコに提供した『あばよ』
- 桜田淳子に提供した『しあわせ芝居』
- 小柳ルミ子に提供した『雨…』
- 日吉ミミに提供した『世迷い言』
- ちあきなおみに提供した『ルージュ』
を含む全10曲
【収録曲】
『あばよ』『髪』『サヨナラを伝えて』『しあわせ芝居』『雨…』『この空を飛べたら』『世迷い言』『ルージュ』『追いかけてヨコハマ』『強がりはよせヨ』