1979年の中島みゆきのアルバム曲『ルージュ』
ちあきなおみのために書き下ろされた曲で、後に、アジア全域でフェイ・ウォンなど多くのアーティストによってカバーされ、流行した。
中島みゆきとちあきなおみの出会いに至るまでの経緯など、色々みていこう。
この記事は、
- 中島みゆきとちあきなおみの出会い
- 『ルージュ』のきっかけは研ナオコの『あばよ』
- アジアで大流行した『ルージュ』
について書いてます!
中島みゆき『ルージュ』
作詞・作曲 中島みゆき
編曲 戸塚修
中島みゆきとちあきなおみの出会い
ちあきなおみへの提供曲
『ルージュ』は、1976年に中島みゆきがちあきなおみに提供した曲で、後に中島みゆきもセルフカバーし、1979年のオリジナルアルバム『おかえりなさい』に収録された。
きっかけは研ナオコの『あばよ』
「TAPthePOP」によると、ちあきなおみが、中島みゆきに曲を書いてもらおうと思うきっかけになった曲がある。
研ナオコの『あばよ』だ。
1976年に中島みゆきが研ナオコへ提供したこの曲を、ちあきなおみが気に入り、やがて自分も曲を書いて欲しいと思うようになったという。
そんなある日、たまたま読んでいた新聞の記事に、ちあきなおみは衝撃を受ける。
その記事には、「中島みゆきが、ちあきなおみに曲を書きたがっている」といった内容が書かれていたのだ。
2人の出会いの日
お互い両想いであることを知ったちあきなおみは、北海道へ足を運んだ時、札幌の中島みゆきの実家へ電話をかけている。
それをきっかけに親しくなり、2人は一緒に食事をすることになった。
中島みゆきにとって、ちなきなおみは憧れの存在だ。
1976年10月31日に行われた近畿大学工学部大学祭の中で、中島みゆきはちあきなおみのヒット曲『四つのお願い』を披露している。
滅多に他のアーティストの曲を歌うことのない中島みゆきにとっては、異例のことだ。
「TAPthePOP」によると、憧れのちあきなおみを初めて目の当たりにした中島みゆきは、このような印象を抱いた。
「最初は憧れという感じで、本物かしら、さわってみようかしら(笑)。これはひとりよがりの見方かもしれませんが、気取らないひとだなって思いました」
一方、ちあきなおみも、シンガーソングライターという肩書には気難しさを感じていたが、実際、中島みゆきと会うと、すぐに緊張が解けた。
イメージとは異なり、ずいぶんサッパリとした感じだったからだ。
中島みゆきは、このちあきなおみの印象を引き連れて、曲作りに取り掛かった。
そして完成したのが、『ルージュ』だ。
口をきくのが うまくなりました
どんな酔いしれた人にでも
口をきくのが うまくなりました
ルージュひくたびにわかります
(『ルージュ』より)
この曲提供が縁となり、ちあきなおみは、中島みゆきが所属するヤマハ提供の番組「コッキーポップ」(ニッポン放送)に出演。
また、中島みゆきも、ちあきなおみが司会を務める音楽&トーク番組「いらっしゃい」(テレビ朝日)に出演した。
ちあきなおみが歌う中島みゆきカバーアルバム
ちあきなおみは、『ルージュ』を1977年4月10日、日本コロムビアからシングルリリースした。
この年の7月25日には、同名タイトルのアルバム『ルージュ』を発表。
A面には、『ルージュ』の他に、中島みゆきが手掛けた既存の曲『雨が空を捨てる日は』『流浪の詩』『あばよ』のカバーを収録。
また、新たにちあきなおみへ提供された『帰っておいで』『うかれ屋』も加え、中島みゆき尽くしのアルバムとなっている。
アジアで大流行
フェイ・ウォンのカバーで人気に火がつく
『ルージュ』は、ちあきなおみにとって、そこまでヒットした曲ではなかった。
この曲が再び注目を浴びるようになったのは、それから16年後の1992年のこと。
フェイ・ウォンという香港の歌手が、『容易受傷的女人(傷つきやすい女)』とタイトルを変え、この曲をカバーしたところ、これが大ヒットしたのだ。
広東語で歌われたこの曲は、香港やシンガポールなど、広東語圏で多く聴かれた。
1994年にリリースしたアルバム『恋のパズル』には北京語版が収録され、これにより、台湾や東南アジアなど、アジア圏全域に人気が広がっていった。
1989年に歌手デビューしたフェイ・ウォンは、『ルージュ』のカバーによりブレイクした。
1992年にはこの曲で、香港最高峰のプラチナ・レコード賞を受賞、「第二のテレサ・テン」と呼ばれ、その人気を不動にした。
広東語版の歌詞は、 潘源良という作詞家が手掛けている。
オリジナルとはだいぶかけ離れており、「ルージュ」という言葉は一切出ていない。
1993年「FMSTATION」10月25日号のインタビューで、中島みゆきは、フェイ・ウォンのカバーについて言及している。
「まるで彼女のために書いたような感じですもん」
自分よりも、フェイ・ウォンの声質が『ルージュ』の曲に合っていることに衝撃を受けたという。
また、歌詞は別のものに差し替えられたものの、自分の作ったメロディがアジアで評価されていることは喜ばしいとだとも語っている。
アジアで次々とカバー
フェイ・ウォンのカバーを皮切りに、『ルージュ』はアジアの多くのアーティストによってカバーされていく。
鄺美雲、潘盈、劉秋儀、王靖雯、四個朋友、梁雁翎、邰正宵、方怡萍、etc.
シンガポールではジェシカ・ジェイによりスペイン語で歌われ、トルコではヨンジャ・エヴジミキ、ベトナムではニュー・クインがそれぞれ英語版を歌っている。
他にも、ミャンマーやタイなど、国境を超えて広範囲で愛された曲なのだ。
『ルージュ』に共感した有名人
鳥居みゆき
芸人の鳥居みゆきは、2021年「女性セブン」(4月15日号)のインタビューで、この曲の魅力を語っている。
つくり笑いがうまくなりました
ルージュひくたびにわかります
(『ルージュ』より)
大人になるまでこの歌詞の意味がよく分からなかったという鳥居。
だが、30を過ぎた頃、作り笑いをして疲弊していた自分が、この曲の主人公そのものであることに気付いたという。
「口紅をひくときって鏡に向かって口角上げるじゃないですか。その自分の口を見たときに「あ!」って」
『ルージュ』はこんな曲
去ってしまった男を想い、泣いて暮らしていた日々。
やがて身につけていく「つくり笑い」は、男を忘れるための悲しい処世術のように思える。
あの人追いかけて この町へ着いた頃は
まだルージュはただひとつ うす桜
あの人追いかけて くり返す 人違い
いつか泣き慣れて
(『ルージュ』より)
『ルージュ』のみんなの感想
アジア系の人間に中島みゆきのルージュという曲を鼻歌で歌えば分かる人は分かる。
— しろくろこ/shirokuroko (@shirokuroko_EA) November 15, 2021
『ルージュ』の曲、「あの人」追いかけて街に出たけど最後まで会えなくて気づけば純粋で薄桜色だった私が、苦手な人への作り笑いも平気でできる私になった変化を「ルージュ」で象徴した歌詞と曲を書いた中島みゆきと情緒たっぷりに歌い上げるちあきなおみは本当に心から敬服する(息継ぎなし)
— y (@grapphikkkk) February 11, 2021
中島みゆきのルージュを聴きながら危うく泣きそうになってるなう笑笑
心を揺らす曲です— monthly_letter (@shinozaki_shiki) August 29, 2020
カバーしたアーティスト
フェイ・ウォン
1992年のアルバム『Coming Home』に収録。
『容易受傷的女人』というタイトルで歌われている。
研ナオコ
1984年のカバーアルバム『Again』に収録。
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収録アルバム
『おかえりなさい』
1979年リリースのオリジナルアルバム。
中島みゆき初のセルフカバー集。
- 研ナオコに提供した『あばよ』
- 桜田淳子に提供した『しあわせ芝居』
- 小柳ルミ子に提供した『雨…』
- 日吉ミミに提供した『世迷い言』
- ちあきなおみに提供した『ルージュ』
を含む全10曲
【収録曲】
『あばよ』『髪』『サヨナラを伝えて』『しあわせ芝居』『雨…』『この空を飛べたら』『世迷い言』『ルージュ』『追いかけてヨコハマ』『強がりはよせヨ』
『大吟醸』
1996年リリースのベストアルバム。
デビュー期から1995年までのヒット作を詰め込んだ珠玉の14曲。
【収録曲】
『空と君のあいだに』『悪女』『あした』『最後の女神』『浅い眠り』『ルージュ』『誕生』『時代』『わかれうた』『ひとり上手』『慟哭』『狼になりたい』『旅人のうた』『ファイト!』