常に音楽の第一線を走り続けて、ヒットを出し、紅白も出場して、紫綬褒章まで受け――、中島みゆきの曲がずいぶん久しく多くの人に愛されてきたことはここに述べるまでもないだろう。
では、中島みゆき本人は、自分が書いた曲をどう思っているのだろう?
今と昔の気持ちのズレ
かつて、福山雅治のラジオ番組にゲスト出演したとき、中島みゆきはこんな風に言った。
「いったん出した曲を引っ込めたいときがある」
と。
曲を作ったときと、長い時間を経た後の気持ちのあいだに、凄まじい解離があり、読み返したときに、自分で書いたはずの歌詞に共感できないことがあるのだという。
「歌詞を変えたくなる時もありますよね?」
という福山の問いかけに、「あるある!」とひどく共感していた。

リリース前から落ち込む
1983年5月号「GB」でのインタビューで、中島みゆきは、そのことについて詳しく語っている。
この頃の中島みゆきは、アルバムが出る前から落ち込んでいた。
「もう、取り返しつかないもん。
ああすりゃよかったなあ、あれやらなきゃよかったなあ、とか思うわけ。
もう間に合わないから」
レコーディングに入る前は、こうしようああしようと展望が膨らみウキウキ気分だが、そうして出来上がったモノといざ対面すると、作っていた時に意図していたものとの大きなギャップを思い知る。
そんなことが多々あるらしい。
LPに点数をつけるの?というインタビュアの質問には、「レコード発売直前っていうのは、ほとんど0点気分だな」と答えるくらいの落ち込みよう。
気持ちを立て直すまでには結構な時間がかかると語っている。
このインタビューは、アルバム『予感』をリリースしたばかりの頃。
『予感』といえば、あの名曲『ファイト!』が収録されている名盤で、週間オリコンチャートで1位を記録している。
シングル曲をみても、1981年『悪女』以来、『誘惑』『横恋慕』『あの娘』と週間チャートでトップ10入りするヒット曲を立て続けに出し、セールス面でいえばノリにノッた黄金期である。
そんな状況でも、アルバムの出来に落ち込むというのだから、いかに自分の音楽にシビアだったかが窺える。
発信側と受け手側の温度差
音楽活動をやってきて中島みゆきが不思議に思ったことがある。
例えば、コンサートで舞い上がってしまってトチったときなんかに、後で、「今日は落ち着いてたじゃない」と意外な感想をもらったりする。
こちらとあちらの受け取り方というのが大きく違うということが、往々にしてあった。
それは曲の解釈にしても同じ。
「こっちから提供しようと思わないところで、あんがい100%バッと受け取られている瞬間もあると思うの。
逆に、こっちが100%出したつもりなのに、ちっとも受け取ってもらえなかったってこともあるしね」
だが、中島みゆきはこの現象を「おもしろい」と言う。
こちらの意図したものとまるで違う解釈があったとしても、それを曲を作った側が打ち消せるわけではないし、そういう必要もない。
「人間と会うことのおもしろ味みたいなもんだと思うのね」
中島みゆきにとって音楽は、1人1人と対話するためのツールなのかもしれない。
失恋歌はどんな気持ちで書いているのか?
よく中島みゆきのこの曲は実体験が基になっているのか?と議論になることが多いが、かつて詩人の谷川俊太郎が中島みゆきは、虚構の中で表現していると言った。
中島みゆきもまた、「月刊カドカワ」のインタビューの中で、恋愛と歌の関係について、実体験と歌の距離を一つ離すようにしていると語っている。
実体験をまんま加工せず歌にするというのはないようだ。
1983年5月号「GB」の中でインタビュアが興味深い質問を投げかけている。
「落ち込む曲書く時って、その時も落ち込んでるの?」
これに対して中島みゆきはこう答える、
「そう。
曲にもよるけど、大体ね。
思い出してまで書かないヨ」
過去の恋を振り返るのではなく、つまり、現在進行形の「今」の心境を曲に反映しているというのだ。
多くの人が中島みゆきの歌の中に嘘くささを感じないという印象を抱くのはそのせいかもしれない。

歌うことは必ずしも楽しいことではない
JPOPや歌謡曲の第一線で活躍してきた中島みゆき。
きっと「ド」がつくほど音楽バカなのかと思いきや、そこまでどっぷりといった感じではないようだ。
漫画家・一条ゆかりとの対談では、「たまにコンサートをサボりたくなる」と本音をもらしているし、「GB」のインタビューでも、自分にとって歌は必要なものか?というインタビュアの問いに、言い切っている。
「そこまで考えてないね。
私は歌うために生まれてきたのよ、とも思わないしね(笑)」
歌うことは楽しいことだけではない。
「楽しいだけでもないからまた楽しいんだろうね」
とも語っている。
1994年にNHKで放送された「中島みゆき3days~もっとみゆきと深い仲」では、中島みゆきの語録が紹介された。
その中の1つ、
「本気でケンカできる人でなきゃ一緒に仕事はできないですよ」(1986年)
理想の音楽に行きつくまでに妥協を許さない姿勢が窺える。
また別の語録では、
「あたしはね、”自分に出会うため”に歌ってるんです。
”もう一人のあたし”
がいるみたいな気がするんですね。」(1975年)
これぞ、中島みゆきが音楽に見出す楽しみなのではないか。

その後
「GB」のインタビューからその後の中島みゆきは、音楽性を模索するいわゆる「御乱心の時代」へと突入していく。
試行錯誤を経て、ようやく1988年に瀬尾一三という中島みゆきがその後「お師匠さん」と慕うアレンジャーと出会う。
1988年10月21日、瀬尾一三との初のタッグ作品である『涙 -Made in tears-』をリリースし、それ以降、中島みゆきは瀬尾一三の作ったサウンドに乗せて歌い続けることになる。
また、1989年にはコトバの実験劇場である『夜会』をスタートさせた。
この『夜会』のおかげで声の音域が広がり、中島みゆきの表現力はますます豊かになっていったのである。

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