1975年のデビュー以来、常に日本の音楽界の第一線を走ってきた中島みゆき。
その枯渇することのない才能はいったいどうやって育まれてきたのだろうか。
音楽に溢れていた幼少期
中島みゆきは、昭和27年2月23日、北海道の札幌で生まれている。
父親の眞一郎は産婦人科医。
ちなみに祖父の武市は、帯広ガス、帯広劇場の社長、日本国有鉄道自動車協会名誉会長、帯広商工会議所の会頭などを務めあげ、帯広市長にならないかと打診されるほどの実力者だったそうな。
その血脈を受け継いでいるのか、高校時代の中島みゆきの恩師によると、彼女は知的な性格でみんなから一目おかれた存在だったという。
夕刊フジ(昭和51年1月17日付)のインタビュー記事によると、幼い頃からクシの歯や、筆箱に張ったゴム紐をはじいた音を面白がるなど、「音」に慣れ親しんでいたそうだ。
そして中島みゆきの音楽の感性を形成したのは両親によるところも大きい。
「親がなんでもかんでも聴かせる人だった」
と、とあるラジオ番組で中島みゆきは語っている。
レコードをとっかえひっかえ、そしてラジオもよく流していた。
クラシックのレコード、おさるのかごや、歌謡曲などなど、ジャンル問わずの音楽が中島家には絶えず流れていたのだ。
そして、やがて中島みゆきもそれを口ずさむようになる。
歌謡曲を鼻歌で歌って父親に叱られたという一幕もあった。
だが、ただコピーするだけでは飽き足らず、幼稚園の頃にはもうすでに作詞活動をやっていた(※福山雅治のラジオ番組の中では、「小学生から」と答えているが、『魔女伝説 中島みゆき』の中では「幼稚園の頃」と記述がある)。
歌の文句が分からないものをそのまま歌うのに抵抗があり、それを自分の都合に合せて歌詞を作り変えていたのだった。
この頃からすでに、シンガーソングライターの片鱗を示していたのだ。
中島みゆきはどんな子供だったのか?
「何をしてもすごく遅いんですね」
中島みゆきはどんな子供だったのか?
それをよく表わしている曲がある。
2006年のアルバム『ララバイSINGER』に収録されている『とろ』という曲だ。
「とろ」を英訳すると「Too slow」つまり「遅すぎる」という意味。
「とろい」という形容詞からきている。
「とろ」とは、中島みゆきが幼稚園から中学まで呼ばれていたあだ名だ。
産経新聞東京朝刊のインタビューに、
「今回はストレート、飾りなしを念頭に置きましたので。
今までだったら、『ちょっと恥ずかしくて出せません、縁談に差し支えるから』というのもかなぐり捨てた。
いいのもう、って」
と、答えてるので、幼少期の中島みゆきそのままが歌われているとみていいだろう。
この曲の歌詞にある、
「間に合わないって気持ち
あなたにはわかるかい
追いつかないって気持ち
あなたにはわかるかい」
は、どういう意味だろう?
こすぎじゅんいちの著書『魔女伝説 中島みゆき』に書かれている中島みゆきの発言を引用するとこうだ、
「小さい時から、何をしてもすごく遅いんですね。
だから、急がないと、みんな先に行ってしまうという強迫観念がすごくあるんです。
止まってたら、みんなどこかへ行ってしまうという気持ちがあるんです」
普通の子ども?
今や「雲の上の人」みたいな神々しさを放っている中島みゆきだが、幼少期をひも解けば、どこにでもいるフツーの女の子だったことが分かる。
こすぎじゅんいちの著書『魔女伝説 中島みゆき』によれば、中島みゆきの幼い頃の夢はスチュワーデス。
小学校の文集には「23歳で結婚。24歳で出産」と書かれていた。
親に向かって楯突いたこともあればヒドイ言葉をぶつけたこともあったとラジオでも語っている。
『五才の頃』という中島みゆきの曲があるが、その中に描写されている5才児はまさに幼少期の彼女そのものなのだろう。
「思い出してごらん 五才の頃を
手離しで泣いてた 五才の頃を」
一方で繊細?
中島みゆきは幼少期に引っ越しを多く経験している。
5才までを札幌で過ごし、その後、北海道の岩内に居を移す。
11才になると今度は帯広へ、という具合だった。
こう引っ越しが多くなると新しい土地に馴染むのも早いと思われがちだが、中島みゆきはそんな風に器用ではなかったようだ。
最初の引っ越し先の幼稚園では、周りと馴染めなかったようだし、その後の人間関係についても、こんな風に語っている、
「学校では転校生ということもあって、人は嫌いじゃないのに、どのグループにも入らないで、何となく一人でいることの方が多かったみたい。
それでてい、人がいないと淋しくて、とにかく人のいる所にいて、ボーっとしてたりしたみたい」
さらに『魔女の辞典』では、「幼稚園」の項目のところに「物陰からみた運動会」とある。
輪から外れたところで、人の群れを見つめているような女の子だったのだ。
この観察眼が、後の歌詞の世界観に繋がっていくのだろう。
音楽への情熱
父親・眞一郎の仕事の都合で引っ越しが多かった中島みゆき。
5才から11才まで過ごした岩内という所は海に面していた。
中島みゆきの曲に海が多く登場するのはこのためだ。
岩内の幼稚園に移って寂しそうな中島みゆきに、母親はバレエとピアノを習わせることになった。
このピアノのレッスンは中学2年まで続いた。
ピアノの先生のところまで往復2時間もかかる道のりだ。
雪が積もればそれよりかかり、レッスンの時間を入れると5時間を要する。
またこの頃、初めて自作の曲を譜面に書き起こして先生に見せたところボロクソに言われたそうな。
だが、中島みゆきは音楽を嫌いにはならなかった。
受験勉強のため中学3年を前にピアノはやめてしまったが、高校に進学し、入学祝に両親から4800円のギターをプレゼントしてもらうと、『あなたも1週間でギターを弾ける』というタイトルの本を教科書にして独学で学んだ。
モノにするのに3年かかったが、言い換えれば、3年間も一人でたゆまず努力を続けたということだ。
同級生が語るところによると、中島みゆきは放課後1人でギターやピアノを弾いて歌っていて、途中、誰かがくることがあってもやめなかったという。
コトバの教育
中島みゆきは、かつて筑紫哲也との対談で「自分はコトバ屋」だと語っている。
中島みゆきはいつからコトバに関心を持つようになったのだろうか。
最初にコトバの力を教えたのは父親の眞一郎なのかもしれない。
幼い時に中島みゆきが乱暴なコトバを親にぶつけた時に、眞一郎にこうたしなめられたのだ。
「刀で切った傷は薬をつければ治せるけれど、言葉で切った傷は薬では治せないんだよ」
そして、中島みゆきは、中学時代に遠藤先生という国語の先生に出会い、コトバひとつひとつの重要性を教えられている。
コトバへの憧れは、このような出会いから育まれていったのだろう。
幼い頃の恋愛
デビュー後の中島みゆきの恋愛についてはほとんど明かされていない。
松任谷由実とのラジオ対談で、20代のときにある男性からプロポーズされたけど、「まだ早いわよ~」と断った過去が明かされたが、私の知る限りではそれくらいだ。
だが、デビュー前の恋愛についてはぽつりぽつりと語られている。
詩人・谷川俊太郎との対談では、大学生のときに失恋したことを語っているし、『平凡』という雑誌のインタビューでは、小学校の頃に同じクラスの男子2人を同時に好きになったことを明かしている。
1人は運動神経のいいガキ大将で、もう1人は頭のいい委員長タイプの子と、真逆のタイプの男子だったが、人気があったという。
中学時代には、友達のススメでいっしょに陸上部に入部することになる。
その友達は陸上部に好きな男子がいるというので入部を決めたらしいが、つられて入っただけの中島みゆきもまた、その同じ男子を好きになってしまった。
「男に関してはつまずきの第一歩だったかな」
と後に答えている。
ラジオでも、「いいな」と思った人には必ず女がいると言ってるところからしても、中島みゆきが惚れる男は高い確率で、誰か別の女が狙っているようだ。
中島みゆきの歌詞にもある、
「愛した人の数だけ 愛される人はいない
落ち葉の積もる窓辺はいつも
同じ場所と限るもの」
『鳥になって』の一節だ。
中島みゆきの初ステージ
中島みゆきが初舞台を踏んだのは高校の文化祭。
中島みゆきはこの頃の自身について「ワル」と答えている。
学校をサボリがちだった。
「精神的にすごく煮詰まっていたわけ」
『魔女伝説 中島みゆき』の中でその時の心境を語っている。
「自分がさ、必要のない人間じゃないだろうか、とふっと思いだしたわけ」
そして中島みゆきはある賭けに出た。
それは文化祭のステージにあがって歌うことだった。
もし自分が必要のない人間なら、退席する人がいるかもしれないし、場合によっては石が飛んでくることも覚悟しなければならない。
自分は必要な人間なのかそうじゃないのか、それを確かめるための試みだった。
そして、中島みゆきは生まれて初めてステージに立つ。
そして、自作の歌を披露した。
『鶫の唄』
これまでにレコード化されていないが、広い意味での中島みゆきのデビュー曲といっていいかもしれない。
歌い終えた中島みゆきに優等生の親玉が「よかったよ」と声をかけてくれたという。
それまで話す機会がなかった人間と歌を介して心通い合った瞬間だった。
1969年9月1日のことである。
参考図書
音楽評論家こすぎじゅんいちによる著書。
近くで中島みゆきを見てきたこすぎじゅんいちが、やり取りした彼女のコトバや、生い立ちを探ることで1人の人間として中島みゆきを捉えようとしている。
中島みゆきのあまり世に知られていない生い立ちやプライベートなことが書かれていて興味深い。
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