1982年11月1日、「中島みゆきのオールナイトニッポン」に松坂慶子がゲスト出演している。
その模様をまとめてみた。
『蒲田行進曲』について
今回のゲストは女優の松坂慶子。
中島みゆきと松坂慶子は同じ1952年生まれの同級生ということで、この放送当時は2人とも30歳。
この放送のあった1982年は、松坂慶子の代表作ともいえる映画『蒲田行進曲』が公開され、配給収入17億という大ヒットを飛ばした。
この『蒲田行進曲』の裏話を松坂慶子が語ってくれた。
慶子「『蒲田行進曲』の中で小夏(松坂慶子が演じた女優)の第1回主演作のポスターが出てきたの」
松坂慶子によると、そこで登場するポスターは当初、ビキニの恰好で写った写真を使用する予定であったが、使われたのは、かつて松坂慶子が出演した映画『配達されない三通の手紙』のものであった。
その撮影のためにカナダまでロケーションへ行ったというが(CM撮影のついでに撮ったらしい)、そのビキニ姿の撮影のために松坂慶子はずいぶん節制を自分に課していたのだった。
慶子「みんなはステーキ食べてんのに、私は「パイナップルでいいんです」って我慢してたんで、もう悔しかった」
その我慢の反動で、その後、食べたようで本人曰く、倍太ったという。
みゆき「前にお会いした時より痩せたみたいな感じするけど」
慶子「つかこうへいさんが演出構成してくれて、それで絞られてるからまたちょっと痩せて」
つかこうへいとは「蒲田行進曲」の脚本を手掛けた演出家だ。
そのつかこうへいが、演出・構成を手掛けたコンサートに、松坂慶子をレオタード姿で登場させようとしたのだ。
松坂慶子は必死にそれに反発した。
慶子「「ダメですダメです、私太っちゃっててぜんぜんダメです!」って言ったら、「化粧してメシばっか食ってるからだろ、やせろ!」って言われて(笑)」
松坂慶子の弟について
「中島みゆきのオールナイトニッポン」の名物コーナー「家族の肖像」の先だって「弟の肖像」のコーナー。
松坂慶子の弟について根掘り葉掘り訊いちゃうという臨時に設けられたコーナーのようである。
慶子「7つ違いの弟がやっと去年大学出ましてね」
弟はぬぼーっとした性格で、外見は部分部分でみれば似ているものの、全体の感じは全く似ておらず素朴で田舎の子みたいなんだとか。
昨年ワイン会社に就職し、藤沢の工場で仕事を始めたという。
慶子「カタギの仕事してるの弟だけだから、すごい嬉しいんですよ~。
大学も出てくれたしね」
そんな弟に仕事の内容について訊いたところ、その返答が松坂慶子にはだいぶおかしかったらしい。
弟の担当はレッテルを貼る作業なのだが、ちゃんとこなせているか松坂慶子は不安に思った。
慶子「「でも、まっすぐ貼れるの?」って訊いたら、「うん、次の人がまっすぐ直してくれる」っていうの。
おかしくって(笑)」
弟は多趣味で、主にレコード収集とサーフィンに精を出しているそうな。
会社が藤沢で遠いからと、今は近くの江ノ島で1人住んでいるというが、どうやら本音はサーフィンができる海が近いということである。
毎日、ほかほか弁当を食べて、弟なりの1人暮らしを満喫しているようだ。
みゆき「サーフィンって冬でもやるんですよね?」
慶子「冬もやってます。
風邪ひこうが何しようがウェットスーツ着てね」
みゆき「姿ってったら、ほとんど板に乗った昆布って感じでしょ?
で、昆布が泳いで戻ってくると、昆布巻きつけて帰ってくるんでしょ?(笑)」
慶子「アハハハ!」
サーファーを昆布と形容する中島みゆきもどうかと思うが、サーファーには世間一般のイメージがあるようだ。
松坂慶子が、友人に弟の写真を見せたときに、友人はすぐに弟がサーファーだと分かったという。
慶子「髭はやして髪の毛が茶色いっていうのはサーファーの人には多いんですって」
潮焼けした髪の毛は茶色になるという。
弟も、自分の茶髪を潮焼けのせいにしたが、松坂慶子にはそれが嘘だとお見通しだ。
慶子「染めたんですよ。
1カ月後に会ったら黒いのね(笑)
この辺が伸びてるのね(笑)」
みゆき「生え際が?」
その染めたとこと伸びたとこのちぐはぐさに見かねた松坂慶子はお姉さんらしく、お小遣いを渡し、美容室に行かせたという。
中島みゆきは、弟を持つ身として、この松坂慶子の姉としての振舞いに反応してしまう。
みゆき「「お小遣いあげるから」って言ってみたいものですね(笑)」
慶子「7つも違うと気が楽だしね、よく学生時代だとドライブ行ったりね」
みゆき「弟さんは、松坂さんのこと何て呼びます?」
慶子「「お姉ちゃん」って呼んでます」
みゆき「ウチも「お姉ちゃん」っていちお呼ぶようにはしつけてますが、なかなか(笑)」
松坂慶子と「家族の肖像」
松坂慶子を交えて「家族の肖像」コーナーへ送られてきたハガキを紹介。
まず1通目は、女性からのお便り。
くるくるドライヤーで髪をセットしていたところ、ふんわり仕上がった自分のヘアスタイルを横で髪の薄い父親が羨まし気に見つめていた。
父親は、自分もふんわりさせたくなったのかドライヤーを娘から取りあげ、使ってみたが、あまりの髪のなさから火傷を追ってしまったそうな。
さて、この「家族の肖像」コーナーでは読まれたお便りに対してプレゼントを発送している。
1つは、中島みゆきと握手ができるという「あくしゅ券」。
1つは、12枚の中島みゆきの写真が載った1983年みゆきカレンダー。
そして、今回はこの2つに加えてもう1つ、
みゆき「「60歳まで健康安全保証みゆき慶子の寄せ書き色紙」。
長いタイトルでございます。
早い話が2人年合わせて60歳だって言いたいんでしょ(笑)」
この3つから何を贈るかは、今回は松坂慶子に決めてもらおうという。
さっそく、先ほどのドライヤーで火傷を負った父親に、松坂慶子は色紙をプレゼントしたいという。
みゆき「このお父さんに「髪の毛の健康安全色紙」を!(笑)」
松坂慶子のロケの仕事
CM中にスタジオの中を蚊が飛び回っていたことから、中島みゆきは、ふと役者の苦労を考えた。
みゆき「ほら、役者さんってロケなんかだと外なんだよね?
けっこう待ち時間とかあるんでしょ?
蚊が出るんだろうなって」
松坂慶子は普段から虫よけスプレーを持ち歩いているらしい。
慶子「ベッドで寝ているシーンなんかに虫よけスプレーが必要なの」
みゆき「ベッドで寝ているシーンで、「ぶ~ん」とか飛んで来たらやっぱり気が散ります?」
慶子「「ぶ~ん」もあるし、布団の中に住んでる方もいますし」
みゆき「蚊に刺されても、どうってことない顔しなきゃいけないから大変ですね。
ウチなんかコンサートで蚊が飛んでこようものなら、コノヤロ!って追っかけますけど」
松坂慶子の思い出の恩師
「真夜中の職員会議」のコーナー。
松坂慶子がこれまでに出会った思い出深い教師について語ってもらった。
それは、まだ高校生だった頃、習い事していた先の先生の話だ。
当時、松坂慶子は古賀政男ギター歌謡学院というところで週2回のレッスンを受けていた。
古賀政男は、昭和の代表的な作曲家兼ギタリストで、国民栄誉賞を受賞するなど、その分野で華々しい功績を上げていた。
慶子「私、声が細いでしょ?
なかなか上手くいかないんです、根気がなくて。
そしたら先生がこうおっしゃるの。
「松坂くんが上手くなるの待ってたら日が暮れるねぇ」って(笑)」
同じ頃、松坂慶子はクラシックバレエを習っていた。
こちらのお稽古は継続できた。
なぜか?
慶子「先生がハンサムだったから」
みゆき「不純でいいですねぇ(笑)
こういうの大好き」
慶子「ニューヨークシティバレエ団で昔ソリストやってた綺麗な綺麗な男の人だったの。
ヨーロッパ的なお顔立ちで」
たまにサボって久々会うと、「松坂さん風邪ひいてましたか?」と優しい言葉を掛けられ、またうっとりするのであった。
みゆき「いいですね。
私そういう先生に恵まれませんでしたから。
性格だからお付き合いしましょうって先生が多かったから(笑)」
※この翌年の1983年に中島みゆきは松坂慶子に『海と宝石』を楽曲提供している。
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